『祈昌の世迷言』・・・アジアの片隅より

離島と本土を繋ぐ日本最小の『暁橋』のたもとから、娘と善き隣人に届けます。

「矛盾」・・・無い知恵と知識で、消費税増税を思う

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事成語  此方より寸借



 物事の筋道や道理が合わない事を『矛盾』と言いますが、恐らく、現代で最も頻繁に使われる故事成語だと思おもいます。 



 『韓非子』の一篇「難」に基づく故事成語ですが、有名な説話ではありますが、御存知無い方が居られるかも知れませんので、紹介しておきます。 



 「矛盾」の故事の現代語訳・・・「中国語スクリプト」より寸借


 楚の国に、盾と矛を売る人がいました。


 自分が売る盾を自慢して「私の此の盾の堅固な事ときたら、どんなに鋭利な刃物でも突き通す事は出来ません。」と言い、


 また、自分が売る矛を自慢して「私の此の矛の鋭利な事と言ったら、どんな堅固な物でも貫き通して仕舞います」と言いました。


 それを聞いて或る人が「では、貴男の矛で貴男の盾を突いたらどうなりますか?」と尋ねると、その人は何も言う事が出来なく成って仕舞いました。



〔矛盾の話〕  此方より寸借



 国会中継の討論でも、「総理の仰る事は、辻褄が合わず矛盾しています‼・・・」などと、頻繁に使われるので、この説話を御存知の方も多いでしょうから、此れを知っていたからと言っても日本人の3割しか知らないこと」で、「鼻高さん」には成れないでしょうが、韓非が、儒家(孔子)の批判の為に使った例え話だった」と、回答できたとしたら、間違い無く「超鼻高さん」でしょう



 その時代(春秋戦国時代)儒家は、伝説の時代の聖王の「堯」「舜」の政治を最高で理想だとし、舜が悪きを改め、良い立派な行いをして人々を助けたから、堯は舜に禅譲(天子もしくは皇帝が、その地位を血縁者でない有徳の人物に譲る事)したとしいましたが、韓非は、「これは辻褄が合わない」として、次の話をしたのでした。





 歴山(れきざん)の農夫が互いに田の境を侵略していた。


 舜(しゅん)がそこへ行って耕したところ、一年後には田の境が正しくなった。


 漁師が河の漁場をめぐって争っていた。

 舜が行ってそこで魚を捕ったら、一年後、みな年長者に良い場所を譲り合うようになった。

 東夷の陶工が作る陶器はもろく粗末であったが、舜が行って陶器を作ったら、一年後、そこの陶器はみなしっかりした物になった。 孔子がため息をついて言った。

 「田を耕す事、魚を捕る事、陶器を作る事、どれもみな舜の役目では無かったが、舜が行ってこれ等を遣ったのは、悪い風潮を改める為である。 舜は本当に仁の人だ。

 彼が自ら耕したり、苦しい仕事をする事で、人々は彼について働く様に成った。

 だから、聖人の徳は人を感化すると言うのだ。」 ある人が、儒者に聞いた。

 「この時、堯(ぎょう)は何処に居たのですか?」

 「堯は天子だった。」

 それでは、孔子が堯を聖人というのはどういうことか。

 聖人が明察で、帝王の地位にあれば、天下に悪事がない様にするであろう。

 もしも、耕作や漁で争い事が起きず、陶器の質も粗悪で無かったなら、舜はどうして、徳で彼らを導く必要があっただろう。

 舜が悪い風潮を改めたと言う事は、堯に過ちが在ったと言う事だ。

 舜が賢人であったならば、堯が明察と言う事は成り立たない。

 堯が聖人で在ったならば、舜が徳で教化したと言う事は成り立たない。

 この二つが同時に成り立つ事は無い。



 楚の国に楯と矛を売る人が居た。

 その楯を誉めて言うには、

 「私の楯の強固な事と言ったら、これを突き通せる物など在りません。」

 また、その矛を誉めて、

 「私の矛の鋭い事と言ったら、どんな物でも突き通せない物は在りません。」

 ある人が聞いた。

 「あなたの矛で、あなたの楯を突いたら、いったいどうなりますか?」

 その人は答える事が出来なかった。



 突き通せない楯と、なんでも突き通す矛が同時に存在する事は出来ない。


 今、堯と舜を同時に褒め称える事が出来ないのは、楚の人の矛と楯の論法と同様で在る。


 
 
 
 韓非は、当時の儒家の主張の間違いを指摘するのに、「盾と矛の説話」を引き合いに出したのでした。
 
 
 



 安倍晋三首相は、10月1日の夕方、都内で行われた公演で、


 「(みなさんの報道は)税率が10%に上がった日という事で、おそらく消費税一色だと思いますが、私としては、3歳から5歳まで幼児教育・保育の無償化がスタートした日である点を強調したい」と、1日から消費税率が10%に引き上げられた事に伴い、幼児教育と保育が無償化されることを強調し、「来年の4月からは高等教育も無償化する」と重ねて訴えたのでした。



 しかし、これまでのブログ記事でも、何遍も言って来た様に、今回の消費税増税には、「矛盾」だらけなのでした。 


 安倍晋三首相が公演で強調した、「保育の無償化のスタート」にして見ても、矛盾や問題や課題が山積しているのでした。



 幼児教育無償化のメリットとして、「子育てでの金銭面の不安が減る」「少子化の解消に繋がる」「希望の幼稚園・保育園に入れられる」「子供に平等な教育を受けさせる事が出来る」等があげられているのですが・・・。 



 厚生労働省の発表(2019年4月12日)ですとと、保育所などの待機児童数は、8235人減少して4万7198人となり、4年振りの減少となったらしいのですが・・・。



 保育の無償化によって、保育料が高額である為に、此れまで施設に子供を預けていなかった世帯からも、施設へ子供を預けたいとの要望が増加するのは必然の結果でしょうから、待機児童数が急増するのは火を見るよりも明らかだと思うのですが・・・



 それを見越しての施設の増設や、職員の確保に関する具体的な対策は、未だ打ち出ていないのでした。



 保育に携わる職員と、一般会社員の年間給与所得には、100万円以上の格差が在るらしい・・・勿論、保育士の給料の方が安いのですが・・・。



 保育に携わる職員の仕事へのモチベーションの低下が危惧されるし、抑々、「子供が好きだから保育士に成りたい」と考える方でも、給料が安く、仕事が過酷で、有休休暇が取り難い雰囲気の職場環境であるとか、その他の福利厚生に関しても、大手企業に比べると劣悪とも言える現状が在るとか、保育士への成り手が居ないのでした。



 人手不足が、更なる労働環境の悪化を産み、そして人手不足を助長する、負のスパイラルに陥っているのでした。



 儂が子供の時分でしたら、保母さんと言えば、スチュワーデス(今ではCA)と並び称されるぐらいの、女の子に人気の職業でしたし、箱モノ(幼稚園や保育園の建物)を作るにしても、近所に幼稚園や保育園が出来ると言う話が持ち上がったら、「孫が出来た時に通うのに便利」とか、「町に子供の声が響くのは賑やかになって宜しい」のとか言う意見が出て、『作るなら、是非、うちの近くへ・・・』と、誘致合戦が始っていた程でした。



 しかし、昨今は、幼稚園や保育園を作ると言う話が持ち上がると、「子供の声は五月蠅い」の、「送り迎えの自転車や車で、交通の妨げに成る」のとか言って、住民が徒党を組んで反対運動を起こして訴訟問題に発展して、時々、テレビのニュースのネタに成ったりします。
 
 
 
 儂は断言する・・・「幼稚園や保育園が新設される事に、憎悪や嫌悪感を抱いて反対する住民が増えよる様な国は必ず滅びる。」



 また余談に成って話が脱線して仕舞いましたが、要は、幼稚園や保育園を建てるにしても、金や土地が在ったとしても、今日日は昔の様に簡単には進みませんし、直ぐの事には成らないと言う事なのです。



 幼稚園や保育園は、子供達が最初に集団の中で教育を受ける、最も重要な教育機関だと儂は思っています。



 ただ単に、両親が仕事に行っちょる間、子供の面倒を看るだけじゃったら、子育て経験豊富な、人柄の良い近所のオバチャンに看て貰う方が安心かも知れん。



 物心付かない子供達を、集団の中で自我を芽生えさせ、「同世代の子供達と、どの様に付き合って行くのか?」を肌で感じ取り、世の中に出て行く為の基礎を形造って行く大切な教育の場なのだと、儂は考えているのでした。



 「孟母三遷」の教えの様に、幼少期に、どの様な環境で育つかによって、人の人格形成が大きく左右されると儂は思っています。  



 「〇〇〇・・・無い知恵と知識で、消費税増税を思う」のブログ記事の中で、何遍も同じ事を言う様ですが、「社会保障費の財源を確保する為」に消費税が導入された筈です。



 『幼児教育・保育の無償化』は、その目玉の一つだったでしょう。



 増税によって得た財源は、儂等年寄りよりも、将来を担って行く子供達にこそ、より多く、より手厚く使われるべきだと儂は思います。



 その為になら、少しぐらい、年寄りは辛抱すれば良いと、儂は思っています。



 ですが、現状を鑑みたら、政治家達の言葉通りには、どう考えても、上手く行きそうには無いのです。



 此の儘の状態で、幼児教育・保育の無償化を進めて行っても、不要な金を無駄に浪費し、最終的には、経済の連鎖の頂点に位置する大企業を肥やす事となり、結果として、子供達の健康的な育成と幸福には繋がらないでしょう・・・。



 医療・老後保障・障碍者への支援・etc.・・・あらゆる社会保障が同様の結果に成り、成果を出す事無く枯渇して社会保障費の財源を確保する為」増税は、(恐らく)欧米並みの基準にまで、段階的に引き上げられて行く事に成るのかも知れません。
 
 
 
 なのに、「私としては、3歳から5歳まで幼児教育・保育の無償化がスタートした日である点を強調したい。」と、噛み掛けながらも、ニコニコ顔で誇らし気に熱弁されても、『( ゚Д゚)ハァ?』としか、反応出来ないのでした。
 
 
始皇帝(前259年~前210年) 此方より寸借



 中国戦国時代法家である韓非の著書『韓非子』は、春秋戦国時代の思想・社会の集大成と分析とも言えるモノで在り、後世では、蜀漢丞相諸葛亮幼帝劉禅の教材として韓非子を献上しています。



 随分前に書いたブログ記事「シリア難民に纏わる私の世迷言」・・・最終回」で、「情に流されて、諸葛亮は、無能な劉備の子、劉禅 を後継者とし、蜀漢 を滅ぼして仕舞う結果を招きました。そんな人としての弱さも、私が諸葛亮を慕う所以です。ちなみに、支那(中国)では、未だに無能な人間の事を、劉禅 に例えるそうです。」と、書いたのですが…


 儂は時に触れ折りに触れ、諸葛亮が、劉備の遺言のままに、バカ息子の劉禅を殺さずとも幽閉し、諸葛亮が国政の実権を握り、諸葛亮の一族や愛弟子達が蜀漢の国を継承しちょったら、果たして、蜀漢は中国全土を制する事が出来たじゃろうか❔』と、言う自問自答をすることが在るのですが・・・


 此れは、極めて不毛な空想で在り、余りにも膨大な不確定要素が在るので、愚者の儂には、結論を導き出す事の出来ない問題で、その度毎に、導き出した答えが違うのでした。


 ただ、一つ言える事は、諸葛亮劉禅教材として韓非子を献上したと言う事は、賢者として知られた諸葛亮も、「韓非子」は国主が精読して指針とすべき書である事を認めて居たし、韓非を法家の中の最高の賢者であったと評価していたからに違いないでしょう。 



 韓非(紀元前280年~紀元前233年は、中国戦国時代の思想家で在ったが、不遇で在り、後の世に成って、その評価が高まった為に、その著作である『韓非子』にも『戦国策』にも、生涯に関する記述がほとんどないため、詳しい事は分かっていない部分の多い人物でした。


 儒家墨家の思想が客観的に真実であるかどうか検証不可能である事を指摘して、政治の基準にはならないと批判し、法律とその適用を厳格にしさえすれば、客観的に政治は安定すると主張し、分断され乱脈化した君主の権力を、法によって一元化し、体系化することにより強国になるべきだと考え、韓王にしばしば建言したのですが容れられず、逆に、敵対する始皇帝によって高く評価される処と成ったのですが、この事が、荀子のもとで学んでいた頃の同門で在り、秦の宰相であった李斯の妬みを買い、事実無根の汚名を着せられ自殺に追い込まれたのでした。



 生真面目で一途な、世渡りの下手な人物であったのだろうと思います。



 韓非の、「君主の権力を法によって一元化し、体系化することにより強国になるべきだ」との考えを巧妙に取り入れた秦の始皇帝は、強大な大国を創り上げ、中国全土を平定し、最初の皇帝と成ったのでした。



 韓非は、『農業を保護し商工業者や放浪者は身分的に抑圧すべきである』と主張しましたが、韓非の時代においては、金で官職が買え、商工業者が金銭によって身分上昇が可能であり、収入も農業より多いので、農民が圧迫されている事が国の乱れの大きな原因であるとし、農民の生活や農業生産を重視する重農主義を提唱しました。



 『重農主義』は、18世紀後半、フランスのフランソワ・ケネーなどによって主張された経済思想及び、それに基づく政策ですが、韓非が、既に2千年前に、彼等以上の考えを持っていた事には、驚嘆するばかりなのでした。



 韓非の時代とは、大きく背景が異なるので、韓非の言う処の農民は、ザックリ言うと、現代では一般庶民と置き換えられるでしょうし、商工業者とは、大雑把に大企業と置き換えるのが妥当でしょうか・・・。



 二千二百年の昔から、『政治家は悪政を行う事を恥とも思わず、大企業は暴利を貪り、農民や庶民は奴隷の如く蹂躙され疲弊しながらも、よく耐えて、汗水流して懸命に働き、その結果が大企業を肥やす結果へと繋がる』と言う構図は、全く変わっていない様に思えてならないのですが・・・。



 今朝、出勤前にテレビをBGMに、PCに向かぉてブログ記事を書いていたら、10時丁度に電話が掛かって来て、「子授け整体の指導」をさせて戴いている御夫婦の御主人からで、「昨日、病院で検査して貰いましたら、家内が妊娠しとるそうです。妊娠6週目じゃそぉです。・・・」と、とても丁寧な御礼と報告を戴いたのでした。



 御主人は、嬉しさで高揚されており、儂も嬉しく、話は弾みましたが、儂は電話での会話が苦手ですし、仕事に出る時間も迫っていましたから、「失礼ながら後日に・・・」と、言う事で、電話を切らせて戴いたのでした。



 依頼者が妊娠された事で、儂の役目は終わって、全て主治医に委ねられます。



 「妊活」と言うものは、「元気な赤ん坊を出産」で来た時点で終わるのであり、「妊娠」はスタート地点に立てたに過ぎないのでした。



 妊娠してからが重要ですし、真の辛さと喜びが交錯する・・・無事に出産して欲しいと願うばかりなのでした。



 赤ん坊を出産できてからは、親としての、真の辛さと喜びが交錯する人生を歩む事になるのですが・・・。



 産まれて来た赤ん坊が、成人する頃には、もっと厳しい社会情勢になっているかも知れませんが、強く生き抜いて欲しいと願うばかりなのでした。



 そんな事を思いながら、部屋を出ようとテレビを消そうとしたら、丁度、参議院本会議の中継をしており、安倍総理の質疑応答でしたので、『たのんまっせ・・・』と、心で呟きながら、スイッチを切ったのでした。・・・アジアの片隅より