『祈昌の世迷言』・・・アジアの片隅より

離島と本土を繋ぐ日本最小の『暁橋』のたもとから、娘と善き隣人に届けます。

子供等に伝えるべき『父の恋バナ』・・・⑧

黒電話のイメージ画像  此方より寸借



 あの日、1993年(平成5年)9月14日、前日からの雨が降り続く、ぐずついた日和で、非番の日で天気が悪かったけぇ、実家の二階に在った儂の部屋で、のんびりと過ごしよったら、昼前頃、一階の玄関の靴箱の上に在った電話が鳴ったけぇ、急いで階段を駆け下りて受話器を取ったんじゃった。



 「もしもし、土師ですが・・・」と、切り出して、暫く返事を待ったんじゃが、応答が無かった。


 「土師ですが、どちら様でしょうか?」(電話じゃと突然公用語になる男)と、漸く返事が返って来た。


 「礼子です・・・$&#@♪%・・・」と、弱々しぃ声で返事が返って来た・・・その後、何か言いぃよった様なんじゃが、何を言ぃよるんかは分からんかった。
 
 
 どぉも、尋常じゃ無い様子じゃと言ぅ事だけは感じ取れた。


 「レイちゃんか‼?・・・大丈夫か?・・・どしたんね?」と、聞いたんじゃが、嘔吐きながら泣きよる様で、返事が出来んみたいじゃった。


 「具合でも悪りぃんね?・・・落ち着いて、ゆっくり話してみんさい・・・」と、言うと、暫く間を空けてから


 「・・・母さんが・・・死んどるんよ・・・」と、ポソリと言うと、また嘔吐きながら泣きだした感じで、もぉ此れ以上は話せんみたいじゃった。


 「お母さんが死んどるんじゃね‼・・・分かった‼、すぐ行くけぇ待っちょきんさい。分かったね。」と、言ぅたら、返事をしたみたいじゃったけぇ、


 「出来るだけ早ぉに行くけぇ‼」と、受話器を置いて二階へ上がろぉとしたら母が居った。


 只ならぬ儂の電話の声を聞き付けて傍に来たらしぃ・・・。(儂は声がでかい)


 「知り合いの女の子のお母さんが死んだらしぃんじゃ・・・おぉ、そぉじゃ。儂独りじゃと、どぉにも成らんかも知れんけぇ母(儂は母親の事を「母」と呼びよった)も一緒に来てくれんさい。・・・悪りぃんじゃが、すぐに仕度をして・・・独りで待ちよるみたいじゃけぇ・・・」と、言い終わると、儂も支度をする為に二階へ駆け上がったんじゃった。


 儂自身、何の事やら、よぉ解らん状態になっちょったんじゃが、母に来て貰った事は、非常に賢明な判断じゃった。


 部屋に戻って速攻で着替え、鞄にセルラー(初期の携帯電話)と財布と免許証を入れると、下へ降りたんじゃった。



 玄関で靴を履きよったら、母が支度をして出て来た。


 「魂消すのぉぅ・・・どぉ言ぅ事なんなら?・・・まぁよぉ分らんが、一緒に行くけぇよ。」と、言ぅたものの、未だに鳩が豆鉄砲を食った様な顔をしちょった。


 車で、レイちゃんの住むアパートへ向かった。


 多分、相当スピード違反を繰り返しながら運転をしちょったじゃろぉが、「急いじょる時ほど、おりおわんにゃぁ(広島弁・冷静にならなければ)いけんで‼」と、儂を諫める後部座席に座っちょる母の言葉に、「おおぅ‼解っちょる」と返事しながら、冷静に成ろうとしよったんじゃった。


 道すがら、レイちゃんの身の上や、今の生活に付いての状況を、母に説明した。


 「あんたの彼女か?」と、聞いたけぇ、「いいや、ただの知り合いじゃ。」と、答えたんじゃった。



 実際にそぉじゃった。



 レイちゃんから教えて貰ぉた訳じゃぁ無いんじゃが、彼女のアパートや部屋の住所も知っちょった。(当時はストーカーと言う言葉は一般的じゃぁ無かったが、今なら間違いなく、そぉ呼ばれたじゃろぉ・・・)



 30分程で、彼女の住むアパートへ着いたじゃろぉか・・・。



 アパートの前の道路に車を止めて、母と二人で部屋へ向かった。


 西区の楠木町に在った古いアパートの一階にあった部屋のドアの前に立って、呼び鈴を押した。


 暫くして、レイちゃんが3分の1ほどドアを開いて顔を見せてくれた。・・・泣き崩れて死人の様な顔をしとった。・・・言葉は無かった。


 儂が部屋へ入ろうとしたら
 
 「うちはいびせぇ(広島弁・怖い)けぇ、中にゃぁはいらんけぇ、あんたがえぇがいにしちゃげんさい。」と、小声で言ぅたけぇ、母はドアの外に留まって、儂だけが中に入ったんじゃった。


 母は、生来の怖がりで、自分の母親の葬式の時でも、顔を真面に見れんかった程で、生まれ乍らに視力が弱いのに、眼鏡をかけたがらん人じゃった。(母の眼鏡を見た事は在るが、一度も眼鏡をかけた姿を見た記憶が無いんじゃった。儂も眼鏡はかけんけぇ、母親譲りの性分なんじゃろぉ。)


イメージ画像  此方より寸借



 部屋へ入ると、ダイニングキッチンで、左側に風呂とトイレが在るらしく、その奥に二部屋あって、レイちゃんに促される様に左奥の部屋へ入ると、敷かれた布団の上に、お義母さんが寝かされて横たわって居られた。


 傍へ寄って息をしているか確かめた・・・首筋の頸動脈に、手の甲を当てて脈が無いかを確かめた・・・固く冷たかった。


 辛そうな死に顔を観て、思わず手を合わせた。


 すぐに立ち上がってレイちゃんの傍へ行って、手を握りながら(小さく柔らかな冷たい手の平じゃった・・・)


 「やっぱり死んどってじゃねぇ・・・突然じゃったけぇ・・・気を確り持ちんさいよ・・・うちの母も来ちょるけぇ・・・」と、何の慰めにも成らん事を言ぅた・・・。


 その時、部屋の電話がなった。
 
 
 受話器を取ると、レイちゃんが勤めちょる病院の薬局からじゃった。


 話を聞くと、勤務時間になっても出勤せんけぇ、朝から何回も電話をしよったらしぃんじゃった。 


 「私は親戚の者ですが、実は、朝起きたら母親が亡くなって居りまして、本人は放心状態で話をする事が出来ませんので、暫く休みを戴くと思いますが、落ち着きましたら電話をさせて戴きますので、宜しくお願いします。」と、答えたら、最初はかなりの剣幕じゃったが、「はぁ、分かりました。」と、申し訳無さそうに電話を切ったんじゃった。


 傍にレイちゃんが来ちょったけぇ、簡単な経緯を聞いたんじゃった。


 昨日の夜は、週明けで、事務仕事が沢山在って、職場の仕事を終えたのが22時をだいぶ過ぎちょったらしぃ・・・部屋へ帰ったら23時を回っちょったけぇ、いつも、母親は10時過ぎには眠って仕舞うので、眠っているのだろうと思って、母親を起こして仕舞わない様に静かに過ごしたらしく、いつもなら早起きの母親が起きて来ないので、お越しに行ったら死んでいたらしい。


 暫く、放心状態に成って仕舞ぉて、何が何やら、どぉして良いモノかも分らん様に成っちょったらしぃんじゃが、電話(たぶん職場からの電話じゃったんじゃろぉ・・・)が成って居るのに気が付いて、電話を取ろうとしたら切れて仕舞ぉて、我に返ったものの、どぉして良いか分からず、頼る身内も無く、「スナックK」のママに電話を掛けたが不在で繋がらず、「スナックK」のママの電話番号が書かれていた手帳のページに、名刺が挟んで在るのに気が付いて、それを手に取ったら儂の名刺じゃって、ダメ元で電話したら繋がったらしぃんじゃった。



 かなり落ち着いたみたいじゃったけぇ、お義母さんの掛かり付けの病院の電話番号を聞いた。


 電話の傍に置いて在った電話帳に載っちょったけぇ、儂が電話をした。


 受付の方に、ドクターに代わって戴いて状況を話すと、掛かり付けの主治医で在っても、直接看取った訳でも無いので、この様なケースでは、警察に連絡して、警察が指定した監察医に検視して戴く必要が在るので、先ずは警察に連絡しなさいと指示されたんじゃった。


 それで、110番に通報した。


 事細かく聞かれ、事細かく答えた。


 警察に電話をし終えると、一旦外に出て、母に状況を説明した。


 程なく一台のパトカーが到着し、それだけかと思ぉちょったら、次から次へとパトカーが来て、合わせて5台は来たじゃろぉか・・・。


 儂は、心臓麻痺でも起こして亡くなられたんじゃけぇ、「警官の立ち合いの元に監察医が検視を済ませたら終わり」くらいに考えちょったんじゃが、そぉは簡単に行かんかったんじゃった。


 5人ほどの鑑識係の方も含めた総勢15人ほど来とられたじゃろぉか・・・儂は刑事に事情聴取をされて、儂も色々と質問した。


 刑事さんの話じゃと、こうした場合、強盗や身内による殺人の可能性も在るので、監察医による検視だけではなく、鑑識係による現場検証や事情聴取をする必要が在るのだと言う事じゃった。


 レイちゃんと儂の関係を聞かれ、「行き付けのスナックのアルバイトの女の子で、電話を貰ったけぇ駆け付けた」と、答えたんじゃが、随分と不思議がられちょったんじゃが、それが真実なんで、他に答えようが無かった。


 レイちゃんは、随分としつこぉに事情聴取をされよった様じゃったが、監察医の看立ての結果、心不全に因る死亡と診断され、現場の鑑識の捜査結果も事件性は無いとの結果が出たらしゅぅて、「娘さんが酷くショックを受けとられる様じゃけぇ、何かと大変じゃろぉけぇ、確り助けてあげんさい。」と、刑事さんに励まされたんじゃった。



 部屋の中で、儂等が事情聴取を受けちょる間、外に居った母は、集まった野次馬の中の、隣の部屋のオバチャンとか、町内会の方とかに事情を説明して、告別式の式場(住民集会所)とかの手配とか、段取りを進めてくれよったみたいじゃった。


 亡くなった義母は、キチンとした方で、アパート住まいながら、町内会の付き合いをマメにされていたそうで、また、平安閣平安祭典の互助会にも加入して、満期を終えちょったけぇ、事情聴取の合間に、互助会の書類を母に渡しちょったけぇ、其方への手配も全部、母が済ませてくれちょったんじゃった。 



 それからは遽しかった。


 警察が撤収するよりも早く駆け付けて来ちょった、平安祭典の方と、葬儀の内容や段取りなどを取り決めた。


 通常じゃと、翌日に通夜、翌々日に告別式に成る日程じゃったが、母の提案で、その日の内に通夜を執り行い、翌日に葬儀を行う段取りにして貰う事にしたんじゃった。(親戚も居らんし、参列者も少なかろぉけぇ、早ぉに済ませた方がえぇと言う意見じゃった)


 如何せん、レイちゃんは、お義母さんの遺体の前で泣きながら蹲って、放心状態のまんまじゃったけぇ、儂と母が、彼是と決めて、諸々を熟しすしか無かったんじゃった。


 一通りの段取りが済んだけぇ、母は、4時頃に、状況を父に報告するのと、儂の喪服や着替えを取りに行く為に、一旦、実家へ帰って行ったんじゃった。


 その間も、通夜の為の準備が、葬儀屋さんによって、着々と進められた。


 大勢の警察関係者が駆け付けて来て、鑑識捜査をしよる時にも思ぉた事じゃが、「人が一人死ぬ」と言う事は、親族以外の、周りにとっても大変な事なんじゃと、改めて感じたんじゃった。



 通夜は、予定通り、午後7時から執り行われた。


 母も戻って来て、夜通し付き合ぉてくれた。


 近所の方々や、レイちゃんの友達とかも来てくれた。


 通夜が終わり、皆が引き上げて、母と儂の3人だけになった。


 母は、「うちと息子とで、線香が絶えん様にみよるけぇ、あんたは、ちぃとでも横に成って休みんさい。」と、声を掛けたんじゃが、レイちゃんは、鄭重に断って、お義母さんの傍から離れようとはせんかったんじゃった。


 「今日は、本当に御世話に成りました。・・・お母さんこそ、お疲れでしょう。・・・うちの部屋に布団を敷きますから、お休みになってください。」と、言ぅて、部屋に布団を敷いて、母を誘った。


 「お前も来て、ねきに(広島弁・傍に)居ってくれぇやぁ・・・」と、冴えん小声で言ぅて、儂の手を引いた。


 母は、喪服を着たままで横になると、5分もせん内に、恥ずかしゅぅ成るぐらいの鼾をかいて寝て仕舞ぉたんじゃった。・・・疲れちょったんじゃろぉ・・・布団を掛けてあげて、電気を点けた儘にしておいた。


 母が、儂に、ねきに居ってくれる様に言ぅたんは外でもない、人が死んだばかりの家で、独りで寝るのが怖かったけぇじゃった・・・と、思う。 



 レイちゃんと二人で、お母さんの遺体の前で、生前の写真(告別式に飾る為の写真を、翌朝までに用意しておいてくれる様に、葬儀屋さんから言われていた)を見ながら、お義母さんとの思い出話をいっぱいしてくれた。


 儂も、母のエピソードを色々と話したら、レイちゃんが、チョッとだけ笑ったけぇ、儂はチョッとだけ安心したんじゃった。



 そぉこぉしよる内に、夜が明けて行ったんじゃった。・・・アジアの片隅より