変わり行く・・・『懐かしの己斐駅』
JR西広島駅(南口)
昨年の春から、次男が己斐で独り暮らしを始めてから、己斐へは頻繁に行く様になったんじゃが、大抵は、仕事を終えてから原チャリで行くけぇ、己斐駅を利用する事は偶にしか無いんじゃった。
それでも、偶にじゃが、土曜日とか日曜日とか、次男の所へ行く必要が在る時は、通所施設が休みの為、長男と一緒に行くんじゃった。
帰りは、そのまま3号線の路面電車に乗車して宇品へ帰る。
広島電鉄の路面電車の2号線を利用して、己斐駅から広島駅まで行くルートも在るんじゃが、JR西広島駅の北側の己斐中に在る次男の部屋からじゃと、広島電鉄の己斐駅へ行くのには、西広島駅東踏切を通って、西広島駅周辺を半周する感じで歩かんにゃぁいけんけぇ、結構な距離が在るんじゃった。
結構な距離たぁ言ぅても、普通の人じゃったら、歩いて5分程なんじゃが、足が不自由な儂にとっては辛い・・・儂は、運動不足と老化に寄る体力の低下を棚に上げて、何でも不自由な足の所為にして、極力、歩かんでもえぇ方法を常に模索しよるんじゃった。
因みに、この石像のモーちゃんの腹に触ると恋が叶うという噂があるらしぃんじゃった。
児童文学作品である『ズッコケ三人組』シリーズの初版が売り出されたんは、儂が高校生の頃で、これを読む様な年齢じゃ無かったんじゃが、那須先生が1975年(昭和50年)に発表された 『屋根裏の遠い旅』を読んで、強い共感を抱いちょった儂は、売り出されたばかりの作品を手に取り、以来、『ズッコケ三人組』シリーズの愛読者に成ったんじゃった。
それだけじゃなしに、テレビドラマ化されたり、テレビアニメになった作品も、えぇ年こいたオジサンになっても、よぉ見よったんじゃった。
聖地巡礼じゃぁ無いんじゃが、モデルとなった己斐の町へ行く用事が在った時には、己斐小学校 (作中のミドリ市立花山第二小学校のモデル)や旭山神社(作中の花山神社のモデル)なども訪ねたりした事も在るんじゃった。
儂は、そぉこぉしよる内に、いつしか、「己斐」と言う町に、特別な親しみを抱く様に成っちょったんじゃった。
じゃけぇじゃろぉ、次男が独り暮らしを始めたいと切り出した時に、「己斐に住みんさい。」と、勧めて、一緒に不動産屋へ行って、速攻で今のマンションに決めたんじゃった。
己斐中は、閑静な住宅街で、住民も温和な方が多く、次男の部屋からは、JR西広島駅の北口へは、歩いて3分も掛からんし、踏切を渡って己斐本町に行けば、銀行や郵便局やスーパーや商店や病院が立ち並んじょって、家賃(1F1K2万円)も破格じゃし、次男も凄く気に入っちょるけぇ、正解じゃったと思うんじゃった。
広島電鉄・己斐駅
今年、初めて次男の所へ行ったんは、1月4日じゃった。
長男と一緒に行った。
そぉ言やぁ、広島電鉄・己斐駅は、現在の様に改修工事が成される前にゃぁ、「ひろでん会館」と言うショッピングセンターが併設されちょって、『ズッコケ三人組』の中で度々登場する「花山デパート」のモデルに成っちょったんじゃった。
己斐駅に降りた時、辺りの風景が一変しちょるのに、少し驚いたんじゃった。
年末までは改修工事中でフェンスが張られちょったんじゃが、年末に工事が終了して取っ払われたみたいで、小綺麗な広場に成っちょった。
「KOI PLACE」と言う表示も真新しかった。
両サイドのガラス張りのお洒落な小屋は、その内、ドリンクやスイーツを販売するショップにでも成るんじゃろぉか・・・。
チョッと楽しみじゃ・・・。
トイレとかも整備されちょって、多目的トイレを、息子と一緒に利用させて戴いた。
東側には人工芝が敷き詰められちょって、5~6人の子供等が、ソフトボールくらいの大きさのボールを持って、大きな声を上げながら燥ぎよった。
子供の方が流行に飛び付き易ぅて、見極めの判断が厳しゅぅて正しいと、儂は感じちょるんじゃった。
ここ数年、サッカー人気が低迷しちょるんは、ワールドカップをはじめとする国際大会じゃと、日本代表が世界の強豪に、全然歯が立たん醜態を子供等に曝しよるけぇじゃと言う事は明白なじゃった。
昨年開催された「WBSCプレミア」で、日本代表チームが優勝したけぇ、野球の方は、暫くは大丈夫じゃろぉけど、サッカー人気は、ラグビーに奪われ兼ねんじゃろぉと思いよるんじゃった。
JR西広島駅(北口)
次男の所へ行く途中、何か要る物はないかを電話をして聞いて、行き付けのパン屋とスーパーで買い物をして、次男の部屋へ向かった。
流石に、息子とは言え、突然押し掛けるんは、失礼じゃし、余計に迷惑がられるじゃろぉけぇ、訪ねる前には電話する事にしちょるんじゃった。
部屋へ寄ったら、大急ぎで片付けた感が有り有りの台所と、洗濯機が回る音がしよったんじゃが、素知らぬ顔をしちょったら、自分の方から、大急ぎで片付けた事を白状した。
流石、B型人間じゃ、心に隠して置き留めちょく事が出来んらしぃ・・・正直者と言えん事も無いんじゃが、口が軽いとも言える。(B型人間は隠し事が出来んけぇ、秘密の話はせん方がえぇ・・・A型の儂は、口は堅い分、不正直じゃと思う事が多いぃ)
親子3人で、買って行ったパンを食べたり、年末のテレビ番組とか他愛も無い話をして、洗濯機のブザーが鳴り終わったら、儂が洗濯物(次男が自分が後ですると言ぅたんじゃが、当てには成らんし、儂がしたら5分で済むけぇ儂がしたんじゃった)を干して、一休みしたら部屋を後にしたんじゃった。
まぁ、仕事を真面目に勤めて、元気で生活してくれりゃぁ、それが一番じゃと思ぉちょる。
次男の部屋を出ると、JR西広島駅の北口へ向かった。
昔の記憶を辿っても、此処に何が在ったんか思い出す事が出来んのんじゃった。
北口へは、殆ど来る事は無いし、国鉄関係の倉庫とか社宅の様な建物が在った様な気がするんじゃが、どぉしても思い出す事が出来んのんじゃった。
駅の周囲を取り囲んだ工事用のフェンスに、西広島駅の橋上化工事をする旨を伝える看板がかけられちょったが、その詳細についちゃぁ、儂は、よぉ知らんのんじゃった。
去年で、広島駅南口周辺の再開発事業も、ほぼ終了し、横川駅や向洋駅などの改修工事も終了して、昔の面影を残しちょるんは、西広島駅だけに成って仕舞ぉちょるんじゃった。
駅の造りとか、駅前の雰囲気とか、儂が子供の頃(1960年代)と、ほぼ変わっちょらんのんじゃった。
じゃけぇ、己斐へ来ると懐かしい感じがするんじゃった。
じゃが、それも、もう暫くの事で、JR西広島駅再整備案と言うモンが在るらしゅぅて、遠くない将来、此処の周辺も大きく様変わりするらしぃんじゃった。
便利になるんは嬉しいんじゃが・・・チョッと淋しい気がするんじゃった。
2025年の広島駅ビルの完成予想図 此方より寸借
1月4日は、長男の24歳の誕生日じゃったんじゃが・・・。
次男が思い出してくれるかと思ぉて黙っちょったんじゃが、結局、最後まで気が付かんこぉじゃった。
尤も、自分の母親や弟(天皇誕生日じゃけぇ、前は憶えちょったんじゃが、去年から変わったけぇ忘れちょった)の誕生日さえ憶えちょらん様な奴じゃけぇ、期待するべくも無かったんじゃが・・・。
長男には、福屋駅前店へ寄って、デパ地下で、好物の焼き鳥とショートケーキを買って帰ったんじゃった。
次男も、このブログを読みよるみたいじゃけぇ、気が付きゃぁしょぉけど・・・。
半世紀も経ちゃぁ、世の中、随分変わるんは、自然な流れじゃろぉけど・・・。
昔を懐かしんでモノを思う事が多いぃ成った気がする・・・儂が年寄りな成ったと言う事なんかも知れん。