新元号「令和」に決まる
新しい元号は、「令和」
これは、万葉集にある「初春の令月(れいげつ)にして 気淑(よ)く風和(やわら)ぎ 梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き 蘭は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす」との文言から引用したものであります。
そして、この「令和」には、人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ、という意味が込められております。
万葉集は、1200年あまり前に編さんされた日本最古の歌集であるとともに、天皇や皇族、貴族だけでなく、防人や農民まで、幅広い階層の人々が詠んだ歌が収められ、わが国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書であります。
悠久の歴史と薫り高き文化、四季折々の美しい自然。こうした日本の国柄を、しっかりと次の時代へと引き継いでいく。
厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人ひとりの日本人が、明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる。
そうした日本でありたい、との願いを込め、「令和」に決定いたしました。
文化を育み、自然の美しさをめでることができる平和の日々に、心からの感謝の念を抱きながら、希望に満ちあふれた新しい時代を、国民の皆さまとともに切り開いていく。
新元号の決定に当たり、その決意を新たにしております。
5月1日に皇太子殿下がご即位され、その日以降、この新しい元号が用いられることとなりますが、国民各位のご理解とご協力を賜りますようお願いいたします。
政府としても、ほぼ200年ぶりとなる、歴史的な皇位の継承がつつがなく行われ、国民こぞってことほぐことができるよう、その準備に万全を期してまいります。
元号は、皇室の長い伝統と、国家の安泰と国民の幸福への深い願いとともに、1400年近くにわたるわが国の歴史を紡いできました。
日本人の心情に溶け込み、日本国民の精神的な一体感を支えるものともなっています。
この新しい元号も、広く国民に受け入れられ、日本人の生活の中に深く根ざしていくことを心から願っております。』
すると、川岸 令和(かわぎし のりかず、1962年)と言う人物がヒットした。
ウィキペディアに掲載されちょる人物じゃけぇ、著名な方なんじゃろぉが、失礼ながら知らんかった。
経歴に、『大阪府出身。大阪教育大学附属高等学校天王寺校舎卒業。早稲田大学政治経済学部在学中の1986年に司法試験に合格し、1987年に卒業。同大学大学院政治学研究科に進学し、1989年から同大学政治経済学部助手。1992年からフルブライト奨学生としてイェール大学ロースクールに留学し、1993年にLL.M.を取得する。帰国後、1995年に早稲田大学政治経済学部専任講師、1997年に同学部助教授、2002年に同学部教授。2004年イェール・ロースクールでJ.S.D.を取得。同年4月より早稲田大学大学院法務研究科教授を兼任する。2018年早稲田大学政治経済学術院長、政治経済学部長。 日本公法学会、日米法学会、比較法学会、宗教法学会、政治思想学会、日本政治学会、アメリカ学会の各学会に所属する。』と、在る。
儂と歳は変わらんのに、随分と立派な経歴の人物らしい。
流石に、「令和・れいわ」じゃのぉて、「令和・のりかず」と読むらしい。
ライフワークである「占術」の兼ね合いで、40年余り、人の名前に携わっちょるんじゃが、「れいわ」と言う呼び名の人に会ぉた事も、見聞きした事も無い。
若しかしたら、昨今流行りの「キラキラネーム」の兼ね合いで、「レイワ」と言う呼び名の子供が増えるかも知れんのじゃが・・・。
要らんネンダー(広島弁・要らぬ御節介)じゃが、川岸令和氏の名前を、姓名学の上で、簡単に考察して観た。
儂が継承しちょる、三元派北斗流推命術の中の、陰陽姓名学では、川岸令和は、地運(名の画数)13画・大吉運、人運(姓の末文字と名の頭文字を合わせた画数)13画・大吉運、外運(総運から人運を引いた画数、但し、一文字名や一文字姓は重複する)11画・吉運、総運(姓名の画数)24画・大吉運となり、呼び名に濁音が入っている事と、天運(姓の画数)と外運が同数である為に調和が悪い事を除けば、非常に良い部類の姓名で在ると言える。
意志が強く、何事も初心貫徹し、頭脳明晰で、学業に長けた人物だが、頑固過ぎる面が在って、周囲を呆れさせて仕舞う事も在る傾向が強いと観る。
日本の法曹界の為に、更なる活躍をなさってくださる事を願うばかりです。
川岸令和氏だけじゃぁのぉて、全国の「令和」と言う名を持つ人物が、マスコミから取材を受けたり、彼是と面倒に巻き込まれるんかも知れんのじゃが、「時の人」として、何かの縁と思ぉて、にこやかに過ごしてくれんさい。
処で、先月の記事でも書いた、儂が予想しちょった「永安」じゃが、日テレの「スッキリ」で、コメンテーターを務めちょる俳優の小澤征悦氏が、「僕が予想する新元号は、『永安』です。」と言うたのと、後日、同番組にゲストとして出演された、シンガーソングライターの、さだまさし氏も、「永安」を予想したけぇ、この時点で、『はぁ、永安は無いのぉ・・・』と、思ぉたんじゃった。
それに、「永安」は、日本では元号として使われた事は無いんじゃけど、支那の三国志の頃に使われた元号じゃけぇ、『無いかのぉ・・・』とも思ぉちょったんじゃが、やっぱり無かったねぇ(笑)
じゃが、戦争の無い時代じゃったし、そんな中でも、何の間のと言いながらも、秩序を保って、逞しく過ごして来たんじゃった。
その事に、自信と誇りを持って、「令和の御代」を歩んで行きたいと思ぉたんじゃった。・・・アジアの片隅より