『祈昌の世迷言』・・・アジアの片隅より

離島と本土を繋ぐ日本最小の『暁橋』のたもとから、娘と善き隣人に届けます。

久し振りの投稿じゃけど・・・

路面電車の車窓から(相生橋より原爆ドームを望む)



 随分と長い事(2月1日より)、ブログの投稿を休んじょったんじゃが・・・。



 それ以前から、ブログの投稿が滞りがちに成っちょった。


 有り難い事に、多くの方が、安否確認のメールやコメントをくださったんじゃった。


 普段からブログでも、脳梗塞で倒れたじゃの、痛風持ちじゃとか、血圧が高いとか血糖値が高いとか、不健康な話題に触れよるけぇ、何の前触れも無しに長らく投稿が途絶えると、『遂に逝ったか?』と、感じられるのも自然な流れなんじゃと思う。



 見ず知らずの方々から、儂の様な愚者を気に掛けて戴く事など、真に有難い事じゃと、心から感謝いたして居ります。


 皆さんの心配に反して、お陰様で、儂は、身体的には、頗る元気で居ります。



 じゃが、・・・精神面で、かなり病んで居りまして、ブログの投稿も休止中・・・と、言うよりは、ブログ記事を書く事が出来なく成って居りました。



 以前から、10年余り前の火事以来、パニック障害に因り、独り飯が出来ない」とか「人混みが苦手」とかの事柄に触れて来たんじゃけど、昨年末より投稿を始めた、「子供等に伝えるべき『父の恋バナ』」シリーズを書くに当たり、写真や過去の資料を調べたり、当時の出来事を回想している内に、出来事や感情がフラッシュバックして、パニック障害が悪化して、人と会話したり、キーを打つ事も困難な状態に陥って仕舞ぉたんじゃった。



 精神科の主治医から、「当面は、過去の回想など行わず、前向きに過ごしてください」と、指示を受けましたので、ブログ記事の更新を休んじょったんじゃった。(現状じゃぁ、無理をしても書けんのんじゃけど・・・)



 御蔭か、随分症状が改善されて来たけぇ、症状が完全に回復致しましたら、徐々に投稿して行く心算で居るんじゃけど・・・。



 宜しくお願いします。



3月8日(日曜日)の路面電車の車内風景



 阿部首相の大号令の下、全国で学校が休校になったり、各企業がテレワーク(在宅勤務)を実施したり、各スポーツやコンサートなどの文化イベントが中止や延期に成ったり、etc.・・・。



 そんな中でも、広島じゃぁ、どこ吹く風で、危機意識が全く感じられん雰囲気じゃった。


 先週の金曜日、儂が路面電車に乗った時も、随分と込み合っちょったんじゃが、マスクなどしちょる人は、精々10人に1人ぐらいで、マスクなどしちょるんは儂ぐらいのもんじゃったじゃろぉか・・・。


 マスクなどしちょる人も、儂と同じく『花粉対策』と言う感じじゃったし、今年はスギ花粉の飛散も大した事が無かったけぇ、マスクを着けちょる人は疎らじゃったんじゃが・・・。



 じゃが、土曜日に広島市内で新型コロナウイルスに感染した男性の事が報道されてからは、事態は一変したみたいじゃった。



 日曜日に路面電車に乗ったら、殆どの人がマスクを装着しちょった。


 原爆ドームの周辺や繁華街を歩く人々も、日曜日とは思えんくらいに疎らじゃった。



 『人間って現銀じゃのぉ・・・』と、思ぉて、独りニンマリしたんじゃった。・・・アジアの片隅より

次男飯・・・その⑪・・・今日から2月じゃが・・・

西広島駅自由通路及び橋上駅舎整備工事の安全祈願祭  此方より寸借



 1月10日のブログ記事で、西広島駅の自由通路と橋上駅舎の本体工事が始まる事に触れたんじゃけど、昨日(1月31日)の朝、仕事前に次男の部屋へ寄った時に、西広島駅の北口を通り掛かったら、いつもは閑散としちょる北口に、矢鱈と人が大勢集まっちょって、地鎮祭の時の様なテントが張られちょって、報道関係者も来ちょる様子じゃったけぇ、『何事かいの⁈』と、思いながら通り過ぎたんじゃった。



 で、次男の部屋に10時頃に着いて、夕飯の支度をしながら、手早く洗濯と部屋の片付けをして、割烹料理店に向かったんじゃった。



 昨日は、開店時間(11時30分)までに店に入りゃぁえかったんで、仕事前に次男の部屋に行ったんじゃが、出勤前に行く事も多いぃんじゃった。 
 
 
 
 店には、11時過ぎに到着した。






 ここ数日、ようやく平年並みに冷え込んで来たけぇ、『ブロッコリーのポトフ』を作った。



 次男は、生野菜が嫌いなんじゃが、シチューやポトフにすると、よぉ食うけぇ、ブロッコリーとか沢山入れて作ったんじゃった。



 夕方のニュースで、西広島駅北口で今朝行われた安全祈願祭の事が報じられよった。



 駅の南北を24時間行き来できる自由通路の橋を設け、駅舎も同じ橋上に設ける工事が、2022年3月に暫定利用が始まり、23年春に完成する予定らしい。



完成予想図  此方より寸借



 完成すると、こがいな感じになるらしぃ・・・。



 随分と便利に成るみたいじゃが、『それまでに、こんに(次男)が会社を辞めんこぉに、己斐へ居ってくれりゃぁえぇんじゃが・・・。』と、思ぉたんじゃった。・・・アジアの片隅より

近所に出来た店⁈・・・【港町・デリカテッセン】




 最近、電車通り沿いの近所に、何かは分らんが、新しい店が開店しちょるのに気が付いて、チョッと気になっちょったんじゃが・・・。



 以前のブログ記事でも紹介した、『フルールブランシェ』さんから三軒ほど上がった所に出来たんじゃった。



 今日は、遅めの出勤(午前11時入り)じゃったんで、店の前で原チャリを停車して中の様子を覗いたら、弁当屋さんみたいじゃったけぇ、歩道脇にとめて中の様子を覗いた。



 『港町・デリカテッセンと、看板に表示されちょった。



 以前のブログ記事でも触れた、惣菜・弁当・餅の『おうみさんの店』とは、目と鼻の先ほどの近所なんじゃが・・・。



 『えらい強気じゃのぉ・・・』と、思ぉた。






 ショーケースに、総菜が陳列されちょった。



 唐揚げとコロッケとメンチカツ・・・まぁ、定番じゃねぇ・・・。






 ポテトサラダと鹿尾菜・・・此れは日替わりメニューらしい・・・。






 弁当は、4種類ほど・・・愛想の良いお姉さん(儂から見て)に聞いた処、未だ、今月の15日に開店したばかりなので、様子を見ながら、追々増やしていくらしぃんじゃった。






 税込み500円の「メンチカツ・唐揚げ弁当」を1個こぉた。



 昼の仕事を終えて、帰宅してから、遅めの昼食の時に食べてみた。



 市販の弁当は、往々にして濃い目の味付けがされちょるけぇ、薄味が好みの儂には、少し濃いぃ感じじゃが、そこそこ美味しいと思ぉた。



 5000円の松花堂弁当じゃったら、幾らか文句を付けるじゃろぉが、ワンコインじゃったら、500円の値打ちは有ると思うんじゃった。



 抑々、「味覚」ほど、個人差の在る曖昧な範疇は無いんじゃけぇ、儂如きが、どぉのこぉのと言えるモンでも無いんじゃし、気に入らんかったら、二度と買わんにゃぁ済む事じゃけぇ・・・。



 ただ、割と良い米を使ぉちょるみたいで、多分、広島産のコシヒカリじゃと思うんじゃが、この手のじゃと珍しい事で、御飯はなかなか美味しいんじゃった。(実家が米農家でもしちょられるんじゃろぉか?)



 儂が宇品に住み始めた頃は、大田装飾と言う装飾業の店舗が在ったんじゃが、いつの間にか廃業されたみたいで、随分前から空き店舗に成っちょったんじゃが、よぉよぉ商売を始める人が現れたんじゃった。



 奥の厨房で店長らしぃ女性が、忙し気に調理をされよったんじゃが、弁当を戴いた後、「馳走に成りました」と、手を合わせながら、末永く続けられる様にと、願ぉたんじゃった。・・・アジアの片隅より



【港町・デリカテッセン
広島市南区宇品御幸4丁目11-4
☎(082)255-3832

子供等に伝えるべき『父の恋バナ』・・・⑨

告別式のイメージ画像  此方より寸借 



 夜が明けて暫くすると、7時前ぐらいじゃったろぉか・・・平安祭典の担当の方が、告別式に飾る為の写真を受け取りに来られた。


 その時、担当者の方が、「実は、監察医の先生の所に、お義母さんの死亡診断書を戴きに行かないといけないのですが、先生から9時過ぎに取りに来る様に言われているのですが、私は式場の準備が在って、どぉしても手が離せないもので、申し訳無いのですが、取りに行って戴けませんか?」と、頼まれたんじゃった。


 通常は、こう言った手続きも、全て葬儀社の方が遣ってくれるんじゃが、急な事でも在り、なかなか手が回らず、已むを得えず儂に依頼したんじゃった。


 此方も、無理を言って翌日に告別式を行って貰う手前、負い目も在って、快く引き受けたんじゃった。



 葬儀社の方から教えられた監察医の先生の病院は、車で5分程の所に在ったんじゃが、待ち遠しぃけぇ、8時20分を回ったくらいにゃぁ向かったんじゃった。



 小雨の中を、迷う事も無く到着した。



 言われた時間より、だいぶ早ぉ着いたし、病院の玄関に掲げてある看板には、始業時間は9時と書いちょったし、9月15日(火曜日)は敬老の日の祝日じゃったけぇ、開いちょるかどぉか心配じゃったが、ドアを引いたら開いちょって、


 「御免ください。お早う御座います・・・」と、声を掛けたら、


 「おぉ、来たかいねぇ・・・入りんさいや。」と、威勢の好い皺枯れた声が聞こえた。


 「御邪魔します。お世話に成ります。」と、言って、声がした診察室に入って行くと、どぉ見ても70歳をだいぶ超えたくらいの小柄な先生が、ニコニコしながら、椅子に座って居られたんじゃった。


 「まぁ、座りんさいや。」と、促される儘に椅子に座ると、


 「大変じゃったのぉ・・・急な事じゃったけぇ。あんたは息子さんかいね?」と、聞かれたけぇ、娘さんの友人じゃと答えると、書類を儂に見せながら、


 「お母さんは、心筋梗塞で亡くなられた様なんじゃが、13日の夜に亡くなられたもんなんか、14日の未明に亡くなられたんかは、ハッキリとは分らんのんじゃ。・・・じゃが、遺体を火葬するのにゃぁ、死後24時間以上が経過しちょらんと火葬が出来んと法令で決まっちょるけぇ、13日の午後11時に亡くなられた事にしちょるけぇ大丈夫じゃけぇ、これを役所に提出しんさい。」と、仰って、書類を儂に手渡されたんじゃった。


 『そがいに適当でえぇんじゃろぉか⁈』とも思ぉたんじゃが、休日の早朝にも関らず、嫌な顔もせずに適切に対応してくださったんじゃけぇ、有難い事じゃった。


 鄭重に御礼を言って、西区の区役所へ向かったんじゃった。 



 「死体火葬許可証」を交付して貰う為じゃった。


 葬儀社の方から「死亡診断書」を取りに行く事を依頼された時、これも一緒に頼まれちょったんじゃった。



 祝日じゃったけぇ、裏側に在る休日専用の通用口から入ったんじゃった。


 係りの方に事情を説明すると、環境衛生課管理係と言う部署を案内された。(休日でも、この部署は遣りよる様じゃった)


 雨の日の休日の館内は、陰気臭ぉて暗く淋しかった。


 係の方が居られて、事情を説明して「死亡診断書」を提出し、所定の用紙に書き込むと、思いの外、早く「死体火葬許可証」は交付された。



 儂は、それを受け取ると、告別式が行われれる「楠木会館」(町民集会所)へ持って行ったんじゃった。



 儂が行くと、葬儀社の担当者が居られて、数人の係りの方に指示をしながら、葬儀の準備作業をしよったんじゃった。


 儂が行って書類を手渡すと、


 「どうも済みませんでした。有難う御座います。普通なら、依頼者の方に、こんな手続きをしていただく様な事は無いのですが、今日は外でも数件の葬儀が入って居て、人が居らんし、私も全然、間が無いもので、申し訳ありませんでした。もう、この仕事に付いて20年近くに成りますが、こんなことは初めてです。本当に有難う御座いました。」と、鄭重に礼を述べ、深々と頭を下げられたんじゃった。



 儂も初めての経験じゃったし、この様な経験をせん事を願ぉちょるんじゃった。


イメージ画像  此方より寸借 



 部屋へ戻ったら、母が起き出しちょって、お義母さんの遺体の置かれた部屋で、黙ったままレイちゃんと向かい合ぉて、ジッと座っちょった。


 恐らく、話好きの母は、色々と気を使いながら話し掛けたんじゃろぉが、レイちゃんが何も答えられんけぇ、流石の母も会話が出来ん様に成っちょったんじゃろぉ・・・。


 儂が、帰り掛けにコンビニで買ぉて来た、梅と昆布の御結びとペットボトルのお茶を母に渡したら、「礼子さんも食べんさい・・・ちぃとでも食べとかんと身体が弱るけぇ。」と、言ぅて促したんじゃが、レイちゃんは食べられそうな雰囲気じゃぁなかって、黙って俯いちょった。


 「美味しいよ。元気が出るけぇ食べんさい。悲しい時や冴えん事が在った時は、食べるんが一番の薬に成るんじゃけぇ。」と、


 母は、御結びを頬張りながら、しつこぉに言いよったんじゃった。



 儂が、しつこぉてネンダー繰り(広島弁・御節介焼き)なんは、母から受け継いだ性分なんじゃろぉ・・・。



 その時、儂は、儂が大学へ入学した時に、母が言ぅた言葉を思い出しよった。


 母は、大学の入学式を終えた儂に、広島へ戻る前日の夜、急に真顔になって、


 「あののぉ、よぉ、女子(おなご)に振られて失恋して、世を儚んで自殺する若者が居るんじゃげな。・・・まぁ、生きちょったら、悲しい時や冴えん事はよぉけ有る。それで死にとぉなったら、そん時は食え‼。・・・兎に角、腹が一杯に成るまで食え‼・・・えぇか、腹が減っちょったら、人間、碌な事を考えん。・・・じゃけぇ、兎に角、腹一杯に食うんで。ええか‼」と、言ぅたんじゃった。 


 「悲しい時や冴えん事が在った時には腹いっぱい食べる」と、言う言葉は、物のない時代に生まれ育って苦労した、祖母の言葉の受け売りらしぃんじゃが、確かに、一理も二理も有ると、今も思うんじゃった。



 告別式は、午後2時から、「楠木会館」で行われた。



 町内会の方々や、近所の方々が参列してくださった。


 レイちゃんの友人の女の子が二人来てくれた。


 レイちゃんの、九州の叔母さん(義母の義理の妹)と言う方と、山口の伯母さん(離婚した父の姉)と言う方も来てくださっていた。


 とは言え、20~30人ほどじゃったじゃろぉか・・・。


 儂は、田舎育ちで、『町内会=親戚関係』と言う環境で生まれ育ったけぇ、予測出来ちょった事とは言え、物凄く参列者が少ない事に、今更ながらに驚いたんじゃった。


 儂の実家じゃったら、普通の人でも、葬儀には200~300人は参列するけぇ、凄く淋しく感じたんじゃった。



 式が始まる前に、成り行きで、遺族席の所に、レイちゃんと母と一緒に座っちょったら、スナックKのママと、常連客で、店で儂とも親しくしてくださっている、某大手御茶園広島支店長コンちゃん異I氏が、連れ添って参列してくださって、儂と視線がピッタリ合ぉたんじゃった。


 儂は、ビックリして眼を見開いた二人の表情に、『何で、あんたが其処に座っとるん?・・・あんた等は何時から出来とったん?』との思いが諸に出ちょるんが、在り在りと感じ取れたんじゃった。


 「違うんよ‼、そがいな関係じゃぁ無いんじゃけぇ‼」と、声を大にして伝えたい気持ちじゃったが、じゃが、その場じゃぁそうする訳にも行かんけぇ、頭を少し下げて会釈しただけじゃった。



 僧侶の読経も終わり、告別式は滞り無く終わったんじゃった。



 参列者が帰り始めて、ふと見ると、母とスナックKのママのが、ニコニコしながら何やら話こんじょったけぇ、儂も行って挨拶をしたんじゃった。


 儂は、昨日の朝に、レイちゃんから突然電話が掛かって来てからの経緯を、簡潔に取り纏めて話して、レイちゃんと儂が特別な関係じゃぁ無い事も話したんじゃが、その疑念を晴らす事は出来んかったみたいじゃった。


 そりゃぁそぉじゃろぉ・・・ただの店の客じゃったら、店のアルバイトの女の子の母親が突然死んだと連絡が来ても、母親まで連れて来て、葬式を仕切ったりはしゃぁせんけぇ・・・。


 スナックKのママは、「レイちゃんが凄いショックを受けて落ち込んじどるけぇ、確り支えてあげてね。」と、言い残して、I氏と共に帰って行ったんじゃった。 


 儂は、「有難う御座いました。」とだけ言ぅて、頭を下げて見送ったんじゃった。





 火葬は、東区に在る、広島市永安館で行われたんじゃった。



 念の為に、マイクロバスをチャーターしちょったんじゃが、火葬にまで来てくれる人が無く、伯母さん等二人と母だけで、レイちゃんの友人は自家用車で来ており、二人とも東区に住んじょったけぇ、帰りの都合も在るので車で行くと言う事じゃった。


 儂は、自分の車で行く積りじゃったが、母が、「バスに乗る人が少ないと冴えんけぇ、お前もバスで行きんさい。」と言ぅたけぇ、『確かに・・・』と思ぉて、儂もバスに乗ったんじゃった。(儂は、バスに乗ると車酔いするけぇ、余程の事が無い限りバスには乗らん)



 儂は、実家の方の感覚で考えちょったけぇ、もっと多くの人が火葬場迄来るものと思ぉちょったけぇ、葬儀社の方の言われるままにマイクロバスをチャーターしたんじゃが、こがいな事なら、儂の車だけで済んじょったけぇ、勿体無い事をして仕舞ぉたと、残念に思ぉたんじゃった。



 広島市永安館は、今は綺麗な施設に成っちょるんじゃが、その頃、丁度、新しい現在の施設を建築中じゃって、古い施設で行われたんじゃった。



 儂の実家じゃと、呉市の焼山に在る火葬場で行われよって、そちらは近代的で清潔な施設じゃったし、広島市の火葬場に来たのは初めてじゃったけぇ、余りに見すぼらしゅぅて、寂しいく陰気な場所じゃったけぇ、『これが政令指定都市の火葬場か⁈』と、ビックリしたんじゃった。



 後日談に成るが、此の数年後に、伯母(父の姉)の葬儀の為に新しい施設を訪れた時、ホテルのロビーの様な施設の変貌振りに驚いたんじゃった。



 火葬場迄来てくれたのは、レイちゃんの伯母さん等二人と、レイちゃんの友達二人と御主人の、5人だけじゃった。



 古い待合室で、大した話もせんこぉに、遺体が焼け終わるのを待ちよった。



 これが、うちの実家の方じゃと、バスや車で、身内や親戚や縁者が、最低でも100人以上は参列して、待合室では、酒やビールが振舞われ、個人の思い出話を肴にして、ワイワイガヤガヤ賑やかなモンじゃが、ほんまにひっそりしちょって、静かなモンじゃった。(同じ町内でも、儂の親戚中が、漁師や牡蛎養殖業者ばっかりじゃと言う事も在るんじゃが・・・)



 余りに重苦しい雰囲気に、押し潰されそうに成りながら、レイちゃんの傍に居って、彼女の事を気遣いよったら、係の方が、拾骨の準備が出来た事を告げに来られたんじゃった。



 儂の母は、自分の母親の骨さえ真面に拾えんかった様な怖がりじゃけぇ、当然の様に断ったし、レイちゃんの友達も、身内では無いのでと言ぅて遠慮しちゃったんじゃった。


 伯母さん等二人も、拾骨を遠慮されたんじゃった。


 結局、お義母さんの遺骨は、レイちゃんと儂の二人だけで拾う事に成ったんじゃった。



 焼却炉から引き出された台の上の遺骨は、確りとした形を留めちょった。


 葬儀で焼却された遺骨は、大抵は老人で、長患いしちょると、骨がボロボロに崩れて、脆くて原形を留めちょらんのんじゃが、お義母さんの遺骨は、骨太で確りしちょって、理科室に在る「骨格標本模型」の様じゃった。


 係の方の指示に従って、「喉仏」拾って小箱に納めると、足先の骨から骨壺に拾い入れたんじゃが、大腿骨が大きく硬かった為、係の方が小さな金槌で叩いて割るのを見てギョッとした。


 全身の骨を拾い入れたんじゃが、半分ほどしか入らず、残りは別の場所に合祀されるとの事じゃった。



 儂は、亡くなった妻の葬儀の時の事を思い出しよった。


 あの時は、頭が可笑しゅぅ成って仕舞うほど辛かったんじゃが、一緒に遺骨を拾いながら、レイちゃんの事を見ぃ見ぃ、彼女の気持ちを感じ取ろうとしよったんじゃった。


 あの時とは全く違う状況じゃったが、辛かった。



 骨を拾い終えた後は、レイちゃんも儂等と一緒に、マイクロバスで楠木会館まで戻って、母や伯母さん等と一緒に、儂の車でアパートに戻ったんじゃった。



 伯母さん等は、仕事の関係で今日中に帰らんといけんらしゅぅて、戻って直ぐに、儂が広島駅まで送って行ったんじゃった。



 広島駅まで送って行く間、レイちゃんとの関係について、しつこぉに聞かれたんじゃが、「僕は、礼子さんがアルバイトで行っているスナックの常連客で、自宅に偶々居た時に電話を貰ったので、母親と一緒に駆け付けて、成り行きで手伝う事に成っただけで、礼子さんとは特別な関係は在りません。」と、答えたんじゃった。


 残念ながら、実際に、そうじゃったけぇ、それ以外に答え様が無かったんじゃった。



 実の処、儂は、この伯母さん等を、快く思ぉちょらんかった・・・と、言うより、理解し難かったんじゃった。


 長く疎遠になっちょったとは言え、九州の叔母さんにとっては実の姉と姪で在る。


 離婚以来、疎遠になっちょったとは言え、山口の伯母さんにとっては義理の妹と姪で在る・・・弟(レイちゃんの父親)は、体調を崩して病気で来れないとの事じゃったが、元妻と実の娘である・・・『僕じゃったら、何を置いても這ってでも駆け付けるんじゃが・・・』と、思ぉたんじゃった。


 『何の仕事や用事が在るんか知らんが、実の姪が独りぼっちに成って落ち込んじょるのに、母じゃったら、放って帰る様な事は出来んじゃろぉし、迷惑がられて帰ってくれと言われても居座るじゃろぉに・・・』と、思いよったんじゃった。


 儂には理解し難い事じゃし感覚じゃった。(そぉ感じたんは、儂が田舎者でネンダー繰りの家系じゃけぇかも知れんが・・・)



 取り敢えず、伯母さん等を、広島駅の新幹線口まで送ると、すぐにアパートに引き返したんじゃった。



 アパートに戻って部屋へ入ると、レイちゃんと母が、通夜で使った祭壇の前に遺骨を置いて、線香を焚きながら、しんみりと話しをしよる処じゃった。



 母は、儂が戻ると、サッと立ち上がって、


 「御苦労さんじゃったのぉ・・・うち等もいのうか。・・・お父さんに晩飯を作っちゃげんにゃぁいけんし、お父さんも心配しちょるけぇのぉ。早ぉ帰っちゃげんにゃぁいけんけぇ・・・」と、言ぅた。 


 「礼子さん。この度は大変じゃったし、気を落としちょってじゃろぉが、冴えん顔をしちょったら、死んだお母さんも安心出来んじゃろぉけぇ、気を確り持ちんさいよ。・・・それじゃぁ、うち等は帰らして貰うけぇ、元気で遣りんさいよ。」と、レイちゃんに言ぃ終わると、荷物を持って玄関に行って靴を履き始め、レイちゃんも、母を見送る為に玄関へ行ったんじゃった。


 儂も荷物を手早く纏めて、それに続いた。



 玄関を出たら、傘をさすほどの事も無い程度の、小さな雨が降りよった。



 それでもレイちゃんは、母に傘をさしかけて、車まで送った。



 「本当に有難う御座いました。御蔭で無事に母を送る事が出来ました。うちだけじゃったら、何をどぉしてえぇか分らずに、何も出来んかったと思います。本当に有難う御座いました。」と、車に乗り込む母に言いよった。



 儂は車に乗って、一旦、エンジンを掛けたんじゃが、すぐに降りて、


 「レイちゃん、部屋まで送るけぇ・・・あんたが無事に部屋へ戻るんを見届けんと安心して帰られんけぇ・・・」と、言ぅて、強引に、彼女が部屋に戻るまで着いて行ったんじゃった。


 部屋に入る時、


 「それじゃぁ、帰るけぇ・・・元気でね。」と、言ぅたら


 「ウン・・・ありがとう。元気に成るけんね。」と、ほんのチョッとだけ作り笑いをして、顔の横で小さく手の平を振って、ゆっくりとドアを閉めたんじゃった。



 「行かないで‼」と、ほんまは言ぅて欲しかったんじゃが、そがいな言葉は期待するべくも無かった。



 彼女の事が、心配で心配で、たまらんかったんじゃが、後部座席(母は怖がりじゃけぇ助手席には絶対に乗らんかった)に母を乗せて、夕暮れの国道を、小雨の降る中、運転しよったんじゃった。・・・アジアの片隅より

『成人の日』じゃったけど・・・




 今日は、「成人の日」で、去年、20歳に成った次男にお祝いを渡す為に己斐へ行ったんじゃった。


 祝日の為に通所施設が休みじゃったけぇ、長男を伴って行ったんじゃった。


 広島電鉄・己斐駅を降りたら、先日のブログ記事で取り上げた、駅前広場(KOI PLACE)の店舗がオープンしちょった。


 近寄って見たら「コイハウス」と言う店名らしぃ。


 先日、ネットで検索したら、2019年12月22日にプレオープンすると書かれちょって、ショップ等が揃ってのグランドオープンは2月と在ったけぇ、残りの店舗も、順次オープンするんじゃろぉ・・・。





 店舗の入り口に、「無料ホットミールあります!」と表示した御知らせの紙が貼って在った。


 どぉやら、軽食を提供する店らしぃ・・・。


 店の中は随分と混んじょった。





 2020年1月19日(日)11:30~14:30に、「コイプレ運動会」と言うイベントが行われるらしい。






 2020年1月30日~2月1日17:00~20:00に「コイプレで利き酒」と言うイベントも開催されるらしぃい。






 店舗の周りには、屋外のテーブル席も設けられちょって、外でも飲食が可能らしぃ・・・未だ寒いじゃろぉが・・・。


 何故か屋上(平屋の屋根の上じゃが・・・)に、展望スペースが在って、写真の男性の様に、夕暮れの駅前の景色を眺めながら、まどろむ事も出来るんじゃった。(人から注目されるけぇ、チョッと恥ずかしゅぅて、上る気にゃぁ成れんかった)





 東側の人工芝が敷かれた広場には、小さなハンモックの様な遊具が置かれちょって、親子連れが楽しそうに燥ぎよった。






 長男は、人の多いぃ混み合った場所が苦手じゃけぇ、今回は、様子見だけして後にしたんじゃった。



 留守なんは知っちょったんじゃが、次男の部屋へ行った。



 次男は出不精で、人の多い場所が苦手じゃけぇ、成人式には行く気が無かったんじゃが、別れた妻に強要されて、渋々成人式に連れ出されたんじゃった。



 いつもの様に、留守の部屋の片付けをして、お祝いの熨斗袋を机の引き出しに入れて、長男の手を引いて、己斐駅へ向かったんじゃった。 


 この事はメールで知らせておいた。



 帰り掛けに、「コイハウス」の前を通ったんじゃが、引き続き人で一杯の様子じゃった。



 抑々、デパ地下の試食さえ口にする事の出来ん儂にゃぁ、無料のホットミールを貰う為に店に入る勇気は無い。



 もう少し落ち着いた頃に、店を訪ねる事にしたんじゃった。



 宇品行きの電車に乗って、暮れて行く車窓を眺めながら、自分の成人式の時の事やらを思い出したりしよったんじゃった。・・・アジアの片隅より

宇品第6公園にて

宇品第6公園にて



 今日は、夕方から店に入るし、土曜日じゃけぇ、長男が通いよる通所施設が休みの為、朝食の前に、長男を連れて「宇品第6公園」まで散歩に行った。



 散歩たぁ言ぅても、近所の「宇品第6公園」で、長男の好きなブランコで遊ばせて帰るだけなんじゃが・・・。



 ブランコを見付けると、帽子を脱ぎ、ぶら下げちょる鞄を儂に預けると、急いでブランコに突進して行って漕ぎ始めるんじゃった。



 長男は、小柄(身長160㎝程)ながら、潜在的な身体能力が異常に高く、特に体幹が極めて強く、敏捷性や瞬発力も強ぉて、幼少の頃から古武道で鍛練して来て、公式試合の審判員の資格を持つ儂の目から見ても、恐らくトップアスリートを凌駕する程の身体能力が在るんじゃった。



 『高い場所は怖い』と言う概念が無い様で、以前、入所しちょった施設で行方不明になった事が在り、職員総出で探した処、三階建ての施設の屋根に登って居る所を発見され、職員が消防に連絡して救助を要請したら、消防車が到着する前に、雨樋の配管をスルスルと伝って降りて来て、事なきを得たらしぃ・・・その後、雨樋の配管を登れない様に、「忍び返し」が取り付けられたんじゃった。



 昨年、出来たばかりのボルダリングの施設へ、友人の家族と一緒に行く機会が在って、試しに長男にも遣らせてみたんじゃが、初心者コースはアッサリとクリアしたけぇ、係員の人が上級者向けのコースに登らせてみたら、猿の様にスルスルと登ったんじゃった。



 通常、下りる時は、ハーネスと繋いだロープにぶら下がって、ゆっくりと降下するんじゃが、長男には、その事が理解できんけぇ、儂が、「おぉぃ‼降りて来いや‼」と呼んだら、ヘラヘラ笑いながら、自分でホールド(突起物)を伝って、猿の様にスルスルと下りて来たんじゃった。


 その光景を見た係の人が、チョッと興奮した口調で、


 「お父さん‼、息子さんに、本格的にボルダリングを遣らしてみたらどぉですか?・・・凄い選手に成れますよ‼」と、言われたんじゃが、


 「いやぁ、息子にゃぁ重度の知的障碍が在って、言葉も喋れんし、意志の疎通が上手い事とれんのんよ。・・・無理無理。」と、言ぅたら、


 「そぉなんですか・・・。」と、至極、残念で申し訳無さそうな表情をされたんじゃった。 



 これと同じ様な話は他にも在って、長男が、特別支援学校の中等部じゃった頃、体育館で走り回る長男の足の速さに驚嘆して、パラリンピックの選手に成れるんじゃないか?』と、思ぉて、色々と試みたらしぃんじゃが、結局、上手い事いかんかったらしぃんじゃった。



 そりゃぁそぉじゃろぉ・・・長男は、自分が興味が有る事や、遣りたい事が在る時に、自分の思いのままに行動するだけで、人に指図されて何かの競技に取り組もうとか、何かの大会で優勝して褒められたり自慢したいとか、そぉ言ぅ感情も野心も無いんじゃった。(もし、野犬や熊にでも追い掛けられたら、全速力で逃げ出すじゃろぉが・・・)



 儂も、長男の身体能力の高さには、彼が幼少の頃から気が付いちょって、知的障碍が有っても受け入れてくれる、体操教室とかスポーツクラブとか尋ね回ったんじゃけど、「怪我をさせて仕舞うかも知れませんし・・・」とか、「他の子供の迷惑に成っても困りますし・・・」と言われて、鄭重に断られ、儂も諦めたんじゃった。



 長男が、幼少の頃に診察してくださった医師の話では、「息子さんが異常に身体能力が高いのは、もしかしたらサバン症候群の一つの現れ方なのかも知れません。」と、仰っておられたんじゃが、もし、日本でも、欧米の様に、障碍児に対するスポーツの支援制度が充実しちょったら、長男も、2020年東京パラリンピックの選手として、出場で来たかも知れんと思ぉたりもするんじゃが、そぉ言ぅ運命なんじゃろぉ・・・。


 Destiny・・・。


 まぁ、いつもニコニコ顔をして、のんびりと過ごしてくれりゃぁ、それが一番じゃと思ぉちょるんじゃった。



 また、要らん余談が長ぉ成って仕舞ぉたねぇ(笑)


千田廟公園にて



 宇品第6公園は、それほど大きゅぅ無いし、遊具も、ブランコと滑り台だけじゃし、両サイドにベンチが3基づつ供えられちょるぐらいで、後はトイレと水飲み場が在るぐらいなんじゃった。



 じゃが、時々、長男を連れて利用するんじゃが、いつ行ってもトイレは清潔に保たれちょるし、ゴミ屑が転がっちょるのを見た事が無いんじゃった。



 以前のブログ記事で触れた、千田廟公園は、広いし、色々な遊具や施設が充実しちょるんじゃが、よぉけゴミ屑が散らばっちょるし、トイレは不潔な状態に成っちょるし、柔らかいボールを使いよるとは言え、野球の試合をしたりする、遊び方のマナーが悪い小学生等も居ったりして、好ましゅぅ無い状態なんじゃった。



 次男が使う、儂が嫌いな言葉に、「民度」と言う言葉が在るんじゃが・・・。



 民度(みんど)とは、特定の地域に住む人々の平均的な知的水準、教育水準、文化水準、行動様式などの成熟度の程度を指すとされる熟語で、最近使われ出したらしゅぅて、オジサンの儂には馴染みが無かったんじゃが、次男に言わせると、「宇品は民度が低く、己斐は民度が高い」らしぃんじゃった。



 儂の持論の中に、「その地域の様子を知りたかったら公園を見れば分る」と、言うのが在るんじゃが、それから言えば、「宇品第6公園」の周辺地域は民度が高く、「千田廟公園」の周辺地域は民度が低いと言う事なんじゃろぉか・・・。



 まぁ、下品で愚者の儂には、他人や地域の評価など、する気も無いし、出来る立場でも無いんじゃが・・・。



 長男が1時間ほどブランコを漕いで遊んだけぇ、切りが無い(放って置いたら2時間でも3時間でも遊ぶ)けぇ、未だ遣りたいみたいじゃったが、止めさせて帰る事にしたんじゃった。



 ブランコを漕ぐのにゃぁ、マラソンラグビーをする程の体力は要らんじゃろぉが、全く疲れた様子も無く、「いったいこんに(広島弁・この子)にゃぁ体力の限界と言うモンは在るんじゃろぉか?」と、いつも思うんじゃった。


モーニングセット

朝食の焼き鯖定食



 帰り掛けに、「喫茶TAKI」へ寄った。



 以前のブログ記事でも書いたんじゃが、パニック障害の為に「独り飯」が出来ん儂でも独りで来れる唯一の喫茶店じゃが、時々長男と一緒に行くんじゃった。



 長男の事で、儂は困る事が無いんじゃが、唯一、「食事」に関しちゃぁ、日々、頭を悩ませよるんじゃった。



 いつも言ぃよる事じゃが、長男は言葉を持たない。
 
 
 
 此方が話している内容は、或る程度理解している様なんじゃが、「物に名前が在る」と言う概念が無い様で、物の名前を言っても理解出来ん。



 動詞や形容動詞は理解できる様で、シュチエーションで何をするべきかを判断しよるみたいで、「これを捨てて来て」と、空き缶を手渡すと、ゴミ箱に捨ててくれるんじゃが、食事の時に「箸を持って来て」と頼んだら、スプーンを持って来たりするんじゃった。



 長男は、好き嫌いが激しい訳じゃぁ無いが、その時の気分で、食べたい物と、食べたくない物が在るらしゅぅて、これが噛み合わんと絶対に食べんのんじゃった。



 好物じゃけぇと言ぅても、続けると食べん事も多いぃんじゃった・・・実に難しく面倒くさい。



 じゃけぇ、家じゃと5~6種類のおかずを作って、息子が食べ終わった後に儂が食べるんじゃった。



 で、外食をする時は、長男が食べそうな料理を2種類頼んで、長男に選ばせて、それから食事をするんじゃった。



 「喫茶TAKI」へ、長男と朝に行った時には、「モーニングセット」「朝食の焼き鯖定食」を頼むんじゃった。



 今朝は、「モーニングセット」を選んだんじゃった。



 長男は、「モーニングセット」を食べ終えると、儂の味噌汁をジーッと見ながら手を合わせて儂の方をチラ見したけぇ、「食べてもえぇよ」と、言ぅたら、サッと味噌汁のお椀を掴んで自分のトレーの上に乗せて、嬉しそうな顔もせんこぉに黙々と吸いよった。(長男は味噌汁とかシチューとか汁物が好き)



 以前、「モーニングセット」「朝食の焼き鯖定食」を頼むんだ時、両方共、食べんかった事が在って、『今日も、あの時みたいに成りゃぁせんじゃろぉぁ?』と、不安がよぎっちょったんじゃが、無事に完食してくれたけぇチョッと嬉しかった。



 食事の後、部屋に帰って、3時頃まで部屋で過ごしたんじゃった。



 今日は、何処も預かってくれる所が無かったけぇ、仕方なく、4時頃に別れた妻の所に頼んで預かって貰ぉたんじゃが、妻の所に行った時は、好き嫌い無く、何でも出された物を食べるらしぃんじゃった。



 別れた妻の話じゃと、長男は人のランク付けや、遣り易い相手か遣り難い相手か格付けをするけぇ、儂が甘いけぇ、長男に嘗められちょるけぇじゃと言う事らしぃんじゃが、確かに、そぉなんかも知れんのんじゃが、儂が甘えさしちゃらんにゃぁ、長男にゃぁ他に甘えられる相手は居らんのんじゃけぇ、それでえぇと思ぉちょるんじゃった。



 仕事を終えて、別れた妻の所に迎えに行ったら、儂が行っただけで、そそくさと玄関まで鞄を抱えて来て靴を履いた。



 別れた妻の部屋を出たら、すぐに手を繋ごうとして儂の手を握って来て、向こう側から人が歩いて来たけぇ、チョッと恥ずかしい気がしたんじゃが、そのままで擦れ違ぉて行ったんじゃった。・・・アジアの片隅より

変わり行く・・・『懐かしの己斐駅』

JR西広島駅(南口)



 昨年の春から、次男が己斐で独り暮らしを始めてから、己斐へは頻繁に行く様になったんじゃが、大抵は、仕事を終えてから原チャリで行くけぇ、己斐駅を利用する事は偶にしか無いんじゃった。



 それでも、偶にじゃが、土曜日とか日曜日とか、次男の所へ行く必要が在る時は、通所施設が休みの為、長男と一緒に行くんじゃった。



 長男と一緒に次男の部屋へ行く場合は、広島電鉄路面電車の3号線の海岸通の停車場から乗車し、終点の己斐駅まで行って、己斐中に在る次男の部屋まで歩いて行くんじゃった。



 帰りは、そのまま3号線の路面電車に乗車して宇品へ帰る。



 出た序に、広島駅まで行き、駅の周辺で食事や買い物をする時は、JR西広島駅から広島駅まで行き、広島駅から5号線の路面電車に乗って宇品へ帰るんじゃった。 



 広島電鉄路面電車の2号線を利用して、己斐駅から広島駅まで行くルートも在るんじゃが、JR西広島駅の北側の己斐中に在る次男の部屋からじゃと、広島電鉄の己斐駅へ行くのには、西広島駅東踏切を通って、西広島駅周辺を半周する感じで歩かんにゃぁいけんけぇ、結構な距離が在るんじゃった。 



 結構な距離たぁ言ぅても、普通の人じゃったら、歩いて5分程なんじゃが、足が不自由な儂にとっては辛い・・・儂は、運動不足と老化に寄る体力の低下を棚に上げて、何でも不自由な足の所為にして、極力、歩かんでもえぇ方法を常に模索しよるんじゃった。



 次男の部屋から広島駅へ行く時にゃぁ、歩いて3分も掛からんJR西広島駅の北口から山陽本線の上り列車に乗るんじゃった。(10分ほどで広島駅に着く。路面電車じゃと40分近くかかる)


ズッコケ三人組の石像(ハチベエ・モーちゃん・ハカセ



 JR西広島駅の南口の正面には、『ズッコケ三人組』の石像が在る。



 此れは、ズッコケ三人組の原作者である、那須正幹氏が、己斐本町の出身で在り、『ズッコケ三人組』の舞台と成って居る「花山町」のモデルが、己斐で在る事から、これを記念してして建てられたらしい。



 因みに、この石像のモーちゃんの腹に触ると恋が叶うという噂があるらしぃんじゃった。



 児童文学作品であるズッコケ三人組』シリーズの初版が売り出されたんは、儂が高校生の頃で、これを読む様な年齢じゃ無かったんじゃが、那須先生が1975年(昭和50年)に発表された 『屋根裏の遠い旅』を読んで、強い共感を抱いちょった儂は、売り出されたばかりの作品を手に取り、以来、ズッコケ三人組』シリーズの愛読者に成ったんじゃった。



 それだけじゃなしに、テレビドラマ化されたり、テレビアニメになった作品も、えぇ年こいたオジサンになっても、よぉ見よったんじゃった。



 聖地巡礼じゃぁ無いんじゃが、モデルとなった己斐の町へ行く用事が在った時には、己斐小学校 (作中のミドリ市立花山第二小学校のモデル)や旭山神社(作中の花山神社のモデル)なども訪ねたりした事も在るんじゃった。



 儂は、そぉこぉしよる内に、いつしか、「己斐」と言う町に、特別な親しみを抱く様に成っちょったんじゃった。



 じゃけぇじゃろぉ、次男が独り暮らしを始めたいと切り出した時に、「己斐に住みんさい。」と、勧めて、一緒に不動産屋へ行って、速攻で今のマンションに決めたんじゃった。



 己斐中は、閑静な住宅街で、住民も温和な方が多く、次男の部屋からは、JR西広島駅の北口へは、歩いて3分も掛からんし、踏切を渡って己斐本町に行けば、銀行や郵便局やスーパーや商店や病院が立ち並んじょって、家賃(1F1K2万円)も破格じゃし、次男も凄く気に入っちょるけぇ、正解じゃったと思うんじゃった。


広島電鉄・己斐駅



 今年、初めて次男の所へ行ったんは、1月4日じゃった。



 長男と一緒に行った。



 そぉ言やぁ、広島電鉄・己斐駅は、現在の様に改修工事が成される前にゃぁ、「ひろでん会館」と言うショッピングセンターが併設されちょって、ズッコケ三人組の中で度々登場する「花山デパート」のモデルに成っちょったんじゃった。





 己斐駅に降りた時、辺りの風景が一変しちょるのに、少し驚いたんじゃった。



 年末までは改修工事中でフェンスが張られちょったんじゃが、年末に工事が終了して取っ払われたみたいで、小綺麗な広場に成っちょった。



 「KOI PLACE」と言う表示も真新しかった。



 両サイドのガラス張りのお洒落な小屋は、その内、ドリンクやスイーツを販売するショップにでも成るんじゃろぉか・・・。



 チョッと楽しみじゃ・・・。





 トイレとかも整備されちょって、多目的トイレを、息子と一緒に利用させて戴いた。



 



 東側には人工芝が敷き詰められちょって、5~6人の子供等が、ソフトボールくらいの大きさのボールを持って、大きな声を上げながら燥ぎよった。



 暫く耳を傾けて聞きよったら、「パス♪パス♪」とかノックオン‼」とか叫びよるけぇ、ラグビーの真似事をして遊びよるらしかった。



 カープもサンフィレッチェも、頑張らんとヤバイでぇ・・・』と、ニンマリしながら思ぉたんじゃった。



 子供の方が流行に飛び付き易ぅて、見極めの判断が厳しゅぅて正しいと、儂は感じちょるんじゃった。



 ここ数年、サッカー人気が低迷しちょるんは、ワールドカップをはじめとする国際大会じゃと、日本代表が世界の強豪に、全然歯が立たん醜態を子供等に曝しよるけぇじゃと言う事は明白なじゃった。



 昨年開催された「WBSCプレミア」で、日本代表チームが優勝したけぇ、野球の方は、暫くは大丈夫じゃろぉけど、サッカー人気は、ラグビーに奪われ兼ねんじゃろぉと思いよるんじゃった。


JR西広島駅(北口) 



 次男の所へ行く途中、何か要る物はないかを電話をして聞いて、行き付けのパン屋とスーパーで買い物をして、次男の部屋へ向かった。



 流石に、息子とは言え、突然押し掛けるんは、失礼じゃし、余計に迷惑がられるじゃろぉけぇ、訪ねる前には電話する事にしちょるんじゃった。



 部屋へ寄ったら、大急ぎで片付けた感が有り有りの台所と、洗濯機が回る音がしよったんじゃが、素知らぬ顔をしちょったら、自分の方から、大急ぎで片付けた事を白状した。



 流石、B型人間じゃ、心に隠して置き留めちょく事が出来んらしぃ・・・正直者と言えん事も無いんじゃが、口が軽いとも言える。(B型人間は隠し事が出来んけぇ、秘密の話はせん方がえぇ・・・A型の儂は、口は堅い分、不正直じゃと思う事が多いぃ)



 親子3人で、買って行ったパンを食べたり、年末のテレビ番組とか他愛も無い話をして、洗濯機のブザーが鳴り終わったら、儂が洗濯物(次男が自分が後ですると言ぅたんじゃが、当てには成らんし、儂がしたら5分で済むけぇ儂がしたんじゃった)を干して、一休みしたら部屋を後にしたんじゃった。



 まぁ、仕事を真面目に勤めて、元気で生活してくれりゃぁ、それが一番じゃと思ぉちょる。



 次男の部屋を出ると、JR西広島駅の北口へ向かった。



 北口とは言ぅても、写真を見たら分かる様に、改修工事中で、小さな無人の改札口が在るだけじゃし、周辺には一般の住宅が立ち並んじょるだけで、広島では定番の、お好み焼き屋さんさえ無いんじゃった。



 昔の記憶を辿っても、此処に何が在ったんか思い出す事が出来んのんじゃった。



 北口へは、殆ど来る事は無いし、国鉄関係の倉庫とか社宅の様な建物が在った様な気がするんじゃが、どぉしても思い出す事が出来んのんじゃった。



 駅の周囲を取り囲んだ工事用のフェンスに、西広島駅の橋上化工事をする旨を伝える看板がかけられちょったが、その詳細についちゃぁ、儂は、よぉ知らんのんじゃった。



 去年で、広島駅南口周辺の再開発事業も、ほぼ終了し、横川駅向洋駅などの改修工事も終了して、昔の面影を残しちょるんは、西広島駅だけに成って仕舞ぉちょるんじゃった。



 駅の造りとか、駅前の雰囲気とか、儂が子供の頃(1960年代)と、ほぼ変わっちょらんのんじゃった。



 じゃけぇ、己斐へ来ると懐かしい感じがするんじゃった。



 じゃが、それも、もう暫くの事で、JR西広島駅再整備案と言うモンが在るらしゅぅて、遠くない将来、此処の周辺も大きく様変わりするらしぃんじゃった。



 こっちの方は、だいぶ先の話じゃろぉが、アストラムライン延伸や駅北側の土地区画整理事業などが計画されちょって、その為の下準備が着々と進められよるんじゃった。



 今時、エレベーターやエスカレーターも無い、足の不自由な儂には、ホームの階段を上り下りするのが辛い、時代遅れの西広島駅なんじゃが・・・。



 便利になるんは嬉しいんじゃが・・・チョッと淋しい気がするんじゃった。


2025年の広島駅ビルの完成予想図  此方より寸借



 1月4日は、長男の24歳の誕生日じゃったんじゃが・・・。



 次男が思い出してくれるかと思ぉて黙っちょったんじゃが、結局、最後まで気が付かんこぉじゃった。



 尤も、自分の母親や弟(天皇誕生日じゃけぇ、前は憶えちょったんじゃが、去年から変わったけぇ忘れちょった)の誕生日さえ憶えちょらん様な奴じゃけぇ、期待するべくも無かったんじゃが・・・。



 長男には、福屋駅前店へ寄って、デパ地下で、好物の焼き鳥とショートケーキを買って帰ったんじゃった。



 次男も、このブログを読みよるみたいじゃけぇ、気が付きゃぁしょぉけど・・・。



 広島駅ビル「アッセ(ASSE)」が、今年の3月末に閉館し、広島市が策定した「広島駅南口広場の再整備等に係る基本方針」に基づき建て替えられて、2025年の春にオープンする予定らしぃ。



 半世紀も経ちゃぁ、世の中、随分変わるんは、自然な流れじゃろぉけど・・・。



 昔を懐かしんでモノを思う事が多いぃ成った気がする・・・儂が年寄りな成ったと言う事なんかも知れん。



 そりゃぁそぉじゃろぉ・・・来年は年男で還暦じゃもの・・・年始から「鬼が笑ぉた」じゃろぉか?・・・アジアの片隅より