『祈昌の世迷言』・・・アジアの片隅より

離島と本土を繋ぐ日本最小の『暁橋』のたもとから、娘と善き隣人に届けます。

子供等に伝えるべき『父の恋バナ』・・・⑨

告別式のイメージ画像  此方より寸借 



 夜が明けて暫くすると、7時前ぐらいじゃったろぉか・・・平安祭典の担当の方が、告別式に飾る為の写真を受け取りに来られた。


 その時、担当者の方が、「実は、監察医の先生の所に、お義母さんの死亡診断書を戴きに行かないといけないのですが、先生から9時過ぎに取りに来る様に言われているのですが、私は式場の準備が在って、どぉしても手が離せないもので、申し訳無いのですが、取りに行って戴けませんか?」と、頼まれたんじゃった。


 通常は、こう言った手続きも、全て葬儀社の方が遣ってくれるんじゃが、急な事でも在り、なかなか手が回らず、已むを得えず儂に依頼したんじゃった。


 此方も、無理を言って翌日に告別式を行って貰う手前、負い目も在って、快く引き受けたんじゃった。



 葬儀社の方から教えられた監察医の先生の病院は、車で5分程の所に在ったんじゃが、待ち遠しぃけぇ、8時20分を回ったくらいにゃぁ向かったんじゃった。



 小雨の中を、迷う事も無く到着した。



 言われた時間より、だいぶ早ぉ着いたし、病院の玄関に掲げてある看板には、始業時間は9時と書いちょったし、9月15日(火曜日)は敬老の日の祝日じゃったけぇ、開いちょるかどぉか心配じゃったが、ドアを引いたら開いちょって、


 「御免ください。お早う御座います・・・」と、声を掛けたら、


 「おぉ、来たかいねぇ・・・入りんさいや。」と、威勢の好い皺枯れた声が聞こえた。


 「御邪魔します。お世話に成ります。」と、言って、声がした診察室に入って行くと、どぉ見ても70歳をだいぶ超えたくらいの小柄な先生が、ニコニコしながら、椅子に座って居られたんじゃった。


 「まぁ、座りんさいや。」と、促される儘に椅子に座ると、


 「大変じゃったのぉ・・・急な事じゃったけぇ。あんたは息子さんかいね?」と、聞かれたけぇ、娘さんの友人じゃと答えると、書類を儂に見せながら、


 「お母さんは、心筋梗塞で亡くなられた様なんじゃが、13日の夜に亡くなられたもんなんか、14日の未明に亡くなられたんかは、ハッキリとは分らんのんじゃ。・・・じゃが、遺体を火葬するのにゃぁ、死後24時間以上が経過しちょらんと火葬が出来んと法令で決まっちょるけぇ、13日の午後11時に亡くなられた事にしちょるけぇ大丈夫じゃけぇ、これを役所に提出しんさい。」と、仰って、書類を儂に手渡されたんじゃった。


 『そがいに適当でえぇんじゃろぉか⁈』とも思ぉたんじゃが、休日の早朝にも関らず、嫌な顔もせずに適切に対応してくださったんじゃけぇ、有難い事じゃった。


 鄭重に御礼を言って、西区の区役所へ向かったんじゃった。 



 「死体火葬許可証」を交付して貰う為じゃった。


 葬儀社の方から「死亡診断書」を取りに行く事を依頼された時、これも一緒に頼まれちょったんじゃった。



 祝日じゃったけぇ、裏側に在る休日専用の通用口から入ったんじゃった。


 係りの方に事情を説明すると、環境衛生課管理係と言う部署を案内された。(休日でも、この部署は遣りよる様じゃった)


 雨の日の休日の館内は、陰気臭ぉて暗く淋しかった。


 係の方が居られて、事情を説明して「死亡診断書」を提出し、所定の用紙に書き込むと、思いの外、早く「死体火葬許可証」は交付された。



 儂は、それを受け取ると、告別式が行われれる「楠木会館」(町民集会所)へ持って行ったんじゃった。



 儂が行くと、葬儀社の担当者が居られて、数人の係りの方に指示をしながら、葬儀の準備作業をしよったんじゃった。


 儂が行って書類を手渡すと、


 「どうも済みませんでした。有難う御座います。普通なら、依頼者の方に、こんな手続きをしていただく様な事は無いのですが、今日は外でも数件の葬儀が入って居て、人が居らんし、私も全然、間が無いもので、申し訳ありませんでした。もう、この仕事に付いて20年近くに成りますが、こんなことは初めてです。本当に有難う御座いました。」と、鄭重に礼を述べ、深々と頭を下げられたんじゃった。



 儂も初めての経験じゃったし、この様な経験をせん事を願ぉちょるんじゃった。


イメージ画像  此方より寸借 



 部屋へ戻ったら、母が起き出しちょって、お義母さんの遺体の置かれた部屋で、黙ったままレイちゃんと向かい合ぉて、ジッと座っちょった。


 恐らく、話好きの母は、色々と気を使いながら話し掛けたんじゃろぉが、レイちゃんが何も答えられんけぇ、流石の母も会話が出来ん様に成っちょったんじゃろぉ・・・。


 儂が、帰り掛けにコンビニで買ぉて来た、梅と昆布の御結びとペットボトルのお茶を母に渡したら、「礼子さんも食べんさい・・・ちぃとでも食べとかんと身体が弱るけぇ。」と、言ぅて促したんじゃが、レイちゃんは食べられそうな雰囲気じゃぁなかって、黙って俯いちょった。


 「美味しいよ。元気が出るけぇ食べんさい。悲しい時や冴えん事が在った時は、食べるんが一番の薬に成るんじゃけぇ。」と、


 母は、御結びを頬張りながら、しつこぉに言いよったんじゃった。



 儂が、しつこぉてネンダー繰り(広島弁・御節介焼き)なんは、母から受け継いだ性分なんじゃろぉ・・・。



 その時、儂は、儂が大学へ入学した時に、母が言ぅた言葉を思い出しよった。


 母は、大学の入学式を終えた儂に、広島へ戻る前日の夜、急に真顔になって、


 「あののぉ、よぉ、女子(おなご)に振られて失恋して、世を儚んで自殺する若者が居るんじゃげな。・・・まぁ、生きちょったら、悲しい時や冴えん事はよぉけ有る。それで死にとぉなったら、そん時は食え‼。・・・兎に角、腹が一杯に成るまで食え‼・・・えぇか、腹が減っちょったら、人間、碌な事を考えん。・・・じゃけぇ、兎に角、腹一杯に食うんで。ええか‼」と、言ぅたんじゃった。 


 「悲しい時や冴えん事が在った時には腹いっぱい食べる」と、言う言葉は、物のない時代に生まれ育って苦労した、祖母の言葉の受け売りらしぃんじゃが、確かに、一理も二理も有ると、今も思うんじゃった。



 告別式は、午後2時から、「楠木会館」で行われた。



 町内会の方々や、近所の方々が参列してくださった。


 レイちゃんの友人の女の子が二人来てくれた。


 レイちゃんの、九州の叔母さん(義母の義理の妹)と言う方と、山口の伯母さん(離婚した父の姉)と言う方も来てくださっていた。


 とは言え、20~30人ほどじゃったじゃろぉか・・・。


 儂は、田舎育ちで、『町内会=親戚関係』と言う環境で生まれ育ったけぇ、予測出来ちょった事とは言え、物凄く参列者が少ない事に、今更ながらに驚いたんじゃった。


 儂の実家じゃったら、普通の人でも、葬儀には200~300人は参列するけぇ、凄く淋しく感じたんじゃった。



 式が始まる前に、成り行きで、遺族席の所に、レイちゃんと母と一緒に座っちょったら、スナックKのママと、常連客で、店で儂とも親しくしてくださっている、某大手御茶園広島支店長コンちゃん異I氏が、連れ添って参列してくださって、儂と視線がピッタリ合ぉたんじゃった。


 儂は、ビックリして眼を見開いた二人の表情に、『何で、あんたが其処に座っとるん?・・・あんた等は何時から出来とったん?』との思いが諸に出ちょるんが、在り在りと感じ取れたんじゃった。


 「違うんよ‼、そがいな関係じゃぁ無いんじゃけぇ‼」と、声を大にして伝えたい気持ちじゃったが、じゃが、その場じゃぁそうする訳にも行かんけぇ、頭を少し下げて会釈しただけじゃった。



 僧侶の読経も終わり、告別式は滞り無く終わったんじゃった。



 参列者が帰り始めて、ふと見ると、母とスナックKのママのが、ニコニコしながら何やら話こんじょったけぇ、儂も行って挨拶をしたんじゃった。


 儂は、昨日の朝に、レイちゃんから突然電話が掛かって来てからの経緯を、簡潔に取り纏めて話して、レイちゃんと儂が特別な関係じゃぁ無い事も話したんじゃが、その疑念を晴らす事は出来んかったみたいじゃった。


 そりゃぁそぉじゃろぉ・・・ただの店の客じゃったら、店のアルバイトの女の子の母親が突然死んだと連絡が来ても、母親まで連れて来て、葬式を仕切ったりはしゃぁせんけぇ・・・。


 スナックKのママは、「レイちゃんが凄いショックを受けて落ち込んじどるけぇ、確り支えてあげてね。」と、言い残して、I氏と共に帰って行ったんじゃった。 


 儂は、「有難う御座いました。」とだけ言ぅて、頭を下げて見送ったんじゃった。





 火葬は、東区に在る、広島市永安館で行われたんじゃった。



 念の為に、マイクロバスをチャーターしちょったんじゃが、火葬にまで来てくれる人が無く、伯母さん等二人と母だけで、レイちゃんの友人は自家用車で来ており、二人とも東区に住んじょったけぇ、帰りの都合も在るので車で行くと言う事じゃった。


 儂は、自分の車で行く積りじゃったが、母が、「バスに乗る人が少ないと冴えんけぇ、お前もバスで行きんさい。」と言ぅたけぇ、『確かに・・・』と思ぉて、儂もバスに乗ったんじゃった。(儂は、バスに乗ると車酔いするけぇ、余程の事が無い限りバスには乗らん)



 儂は、実家の方の感覚で考えちょったけぇ、もっと多くの人が火葬場迄来るものと思ぉちょったけぇ、葬儀社の方の言われるままにマイクロバスをチャーターしたんじゃが、こがいな事なら、儂の車だけで済んじょったけぇ、勿体無い事をして仕舞ぉたと、残念に思ぉたんじゃった。



 広島市永安館は、今は綺麗な施設に成っちょるんじゃが、その頃、丁度、新しい現在の施設を建築中じゃって、古い施設で行われたんじゃった。



 儂の実家じゃと、呉市の焼山に在る火葬場で行われよって、そちらは近代的で清潔な施設じゃったし、広島市の火葬場に来たのは初めてじゃったけぇ、余りに見すぼらしゅぅて、寂しいく陰気な場所じゃったけぇ、『これが政令指定都市の火葬場か⁈』と、ビックリしたんじゃった。



 後日談に成るが、此の数年後に、伯母(父の姉)の葬儀の為に新しい施設を訪れた時、ホテルのロビーの様な施設の変貌振りに驚いたんじゃった。



 火葬場迄来てくれたのは、レイちゃんの伯母さん等二人と、レイちゃんの友達二人と御主人の、5人だけじゃった。



 古い待合室で、大した話もせんこぉに、遺体が焼け終わるのを待ちよった。



 これが、うちの実家の方じゃと、バスや車で、身内や親戚や縁者が、最低でも100人以上は参列して、待合室では、酒やビールが振舞われ、個人の思い出話を肴にして、ワイワイガヤガヤ賑やかなモンじゃが、ほんまにひっそりしちょって、静かなモンじゃった。(同じ町内でも、儂の親戚中が、漁師や牡蛎養殖業者ばっかりじゃと言う事も在るんじゃが・・・)



 余りに重苦しい雰囲気に、押し潰されそうに成りながら、レイちゃんの傍に居って、彼女の事を気遣いよったら、係の方が、拾骨の準備が出来た事を告げに来られたんじゃった。



 儂の母は、自分の母親の骨さえ真面に拾えんかった様な怖がりじゃけぇ、当然の様に断ったし、レイちゃんの友達も、身内では無いのでと言ぅて遠慮しちゃったんじゃった。


 伯母さん等二人も、拾骨を遠慮されたんじゃった。


 結局、お義母さんの遺骨は、レイちゃんと儂の二人だけで拾う事に成ったんじゃった。



 焼却炉から引き出された台の上の遺骨は、確りとした形を留めちょった。


 葬儀で焼却された遺骨は、大抵は老人で、長患いしちょると、骨がボロボロに崩れて、脆くて原形を留めちょらんのんじゃが、お義母さんの遺骨は、骨太で確りしちょって、理科室に在る「骨格標本模型」の様じゃった。


 係の方の指示に従って、「喉仏」拾って小箱に納めると、足先の骨から骨壺に拾い入れたんじゃが、大腿骨が大きく硬かった為、係の方が小さな金槌で叩いて割るのを見てギョッとした。


 全身の骨を拾い入れたんじゃが、半分ほどしか入らず、残りは別の場所に合祀されるとの事じゃった。



 儂は、亡くなった妻の葬儀の時の事を思い出しよった。


 あの時は、頭が可笑しゅぅ成って仕舞うほど辛かったんじゃが、一緒に遺骨を拾いながら、レイちゃんの事を見ぃ見ぃ、彼女の気持ちを感じ取ろうとしよったんじゃった。


 あの時とは全く違う状況じゃったが、辛かった。



 骨を拾い終えた後は、レイちゃんも儂等と一緒に、マイクロバスで楠木会館まで戻って、母や伯母さん等と一緒に、儂の車でアパートに戻ったんじゃった。



 伯母さん等は、仕事の関係で今日中に帰らんといけんらしゅぅて、戻って直ぐに、儂が広島駅まで送って行ったんじゃった。



 広島駅まで送って行く間、レイちゃんとの関係について、しつこぉに聞かれたんじゃが、「僕は、礼子さんがアルバイトで行っているスナックの常連客で、自宅に偶々居た時に電話を貰ったので、母親と一緒に駆け付けて、成り行きで手伝う事に成っただけで、礼子さんとは特別な関係は在りません。」と、答えたんじゃった。


 残念ながら、実際に、そうじゃったけぇ、それ以外に答え様が無かったんじゃった。



 実の処、儂は、この伯母さん等を、快く思ぉちょらんかった・・・と、言うより、理解し難かったんじゃった。


 長く疎遠になっちょったとは言え、九州の叔母さんにとっては実の姉と姪で在る。


 離婚以来、疎遠になっちょったとは言え、山口の伯母さんにとっては義理の妹と姪で在る・・・弟(レイちゃんの父親)は、体調を崩して病気で来れないとの事じゃったが、元妻と実の娘である・・・『僕じゃったら、何を置いても這ってでも駆け付けるんじゃが・・・』と、思ぉたんじゃった。


 『何の仕事や用事が在るんか知らんが、実の姪が独りぼっちに成って落ち込んじょるのに、母じゃったら、放って帰る様な事は出来んじゃろぉし、迷惑がられて帰ってくれと言われても居座るじゃろぉに・・・』と、思いよったんじゃった。


 儂には理解し難い事じゃし感覚じゃった。(そぉ感じたんは、儂が田舎者でネンダー繰りの家系じゃけぇかも知れんが・・・)



 取り敢えず、伯母さん等を、広島駅の新幹線口まで送ると、すぐにアパートに引き返したんじゃった。



 アパートに戻って部屋へ入ると、レイちゃんと母が、通夜で使った祭壇の前に遺骨を置いて、線香を焚きながら、しんみりと話しをしよる処じゃった。



 母は、儂が戻ると、サッと立ち上がって、


 「御苦労さんじゃったのぉ・・・うち等もいのうか。・・・お父さんに晩飯を作っちゃげんにゃぁいけんし、お父さんも心配しちょるけぇのぉ。早ぉ帰っちゃげんにゃぁいけんけぇ・・・」と、言ぅた。 


 「礼子さん。この度は大変じゃったし、気を落としちょってじゃろぉが、冴えん顔をしちょったら、死んだお母さんも安心出来んじゃろぉけぇ、気を確り持ちんさいよ。・・・それじゃぁ、うち等は帰らして貰うけぇ、元気で遣りんさいよ。」と、レイちゃんに言ぃ終わると、荷物を持って玄関に行って靴を履き始め、レイちゃんも、母を見送る為に玄関へ行ったんじゃった。


 儂も荷物を手早く纏めて、それに続いた。



 玄関を出たら、傘をさすほどの事も無い程度の、小さな雨が降りよった。



 それでもレイちゃんは、母に傘をさしかけて、車まで送った。



 「本当に有難う御座いました。御蔭で無事に母を送る事が出来ました。うちだけじゃったら、何をどぉしてえぇか分らずに、何も出来んかったと思います。本当に有難う御座いました。」と、車に乗り込む母に言いよった。



 儂は車に乗って、一旦、エンジンを掛けたんじゃが、すぐに降りて、


 「レイちゃん、部屋まで送るけぇ・・・あんたが無事に部屋へ戻るんを見届けんと安心して帰られんけぇ・・・」と、言ぅて、強引に、彼女が部屋に戻るまで着いて行ったんじゃった。


 部屋に入る時、


 「それじゃぁ、帰るけぇ・・・元気でね。」と、言ぅたら


 「ウン・・・ありがとう。元気に成るけんね。」と、ほんのチョッとだけ作り笑いをして、顔の横で小さく手の平を振って、ゆっくりとドアを閉めたんじゃった。



 「行かないで‼」と、ほんまは言ぅて欲しかったんじゃが、そがいな言葉は期待するべくも無かった。



 彼女の事が、心配で心配で、たまらんかったんじゃが、後部座席(母は怖がりじゃけぇ助手席には絶対に乗らんかった)に母を乗せて、夕暮れの国道を、小雨の降る中、運転しよったんじゃった。・・・アジアの片隅より