『祈昌の世迷言』・・・アジアの片隅より

離島と本土を繋ぐ日本最小の『暁橋』のたもとから、娘と善き隣人に届けます。

子供等に伝えるべき『父の恋バナ』・・・⑥




 ブログ記事を書く為に、「ビジネスダイアリー」を見直してみると、もう四半世紀以上も前の話じゃけぇ、細かい記憶は余り無いし、この歳に成ると、記憶の混同とか摺り変わりが頭の中で起こっちょって、頭の中の出来事の順番が逆になっている事に気付いたりで・・・



 例えば、記憶の中じゃと、その夏にレストランに食事に行った記憶の中では、Aと言う人物と一緒に行っていたと思ぉちょったら、実はBと行ったと書かれちょったりして、改めて考えてみたら「ビジネスダイアリー」の記述の通りじゃった事に気付く、とか・・・



 「歳を重ねる事」に抵抗は無いんじゃが、「老いる事」は切なく感じるんじゃった。



 儂は4月から、「交代要員」と呼ばれたポジションに配属され、「指定休」で休みの部署に代りに勤務したり、イベントなどで繁忙となる駐車場に、応援に駆け付けさせられよったんじゃが、日々、市内各所に点在する市営駐車場を転々としよったんじゃが、一日13時間の隔日勤務と言う勤務体系は変わらんままじゃった。



 儂は、引き続き、週末になると、「スナックK」へ通いよった。



 特に何をするでも無く、時を過ごしたが、はぁ四半世紀以上も前の話じゃけぇ、それこそ「曖昧な記憶」しか無いんじゃが・・・。



 誰だって、そうじゃろぉ・・・25年前に、スナックでどんな話をしたとか、事細かに覚えちょる人は、そぉそぉ居るモンじゃぁ無ぁじゃろぉと思う。



 じゃが、「レイちゃん」に話した話で、たった一つだけ、印象深く憶えちょる事が在る。
 
 
 
 忍風「カムイ外伝」第五話『五ツ』に登場する、「名張の五ツ」の話じゃった。



 
忍風「カムイ外伝名張の五ツ」より  此方より寸借 



 「スナックK」のママは、ゴルフが趣味で、定期的に、ママが主催するゴルフコンペも行われよるみたいじゃった。



 その日、儂は、珍しゅぅ独りで行っちょったんじゃが、ママ主催のゴルフコンペが翌日に行われる事も在って、客もゴルフコンペに参加予定の者ばかりが集まっちょって、話題がゴルフの話ばかりになって、ゴルフをせん彼女は、話に入り難ぅて居り辛かったんじゃろぉ、いつの間にか儂の前に座って、儂に話しかけて来たんじゃった。(珍しい事じゃった)



 「土師さんは、ゴルフはせんのん?」と、オカリナの様な響きの有る淋し気な声で聞いて来た。


 「ゴルフ⁈・・・昔は、よぉしよったんじゃが、はぁ止めたんよ。」と、答えた。


 大学を出てから就職したんが、大手証券会社のリサーチ部門を担う子会社じゃった関係で、ゴルフが仕事の必須アイテムじゃったけぇ、就職してからは毎日、打ちっ放しの練習場に通い、接待ゴルフで毎週の様にコースを回りよった。


 儂は、幼少の頃から武道で鍛えて、身体能力は高かったんじゃが、動体視力が弱いけぇなんかは分らんのんじゃが、野球やテニスなどの球技は苦手で全然ダメじゃったが、止まったボールを打つけぇじゃろぉ、ゴルフはメキメキ上達して、最高スコアは71で、ドライバーは300ヤードを越えよったし、仲間内じゃとノーハンディのシングルプレーヤーじゃった。


 球技と呼べるかどぉかは分らんが、ボーリングも得意で、最高得点は280越えで、平均は240点台をマークしよったんじゃった。(足を悪ぅした今は、どっちも出来んが・・・)

 
 
そんな昔の話をしたと思う・・・。


忍風「カムイ外伝名張の五ツ」より  此方より寸借



 「何でゴルフを止めたん?」と言う彼女の問い掛けに


 「レイちゃんは、『カムイ外伝』を観た事は在るかいね?・・・その中に、『名張の五ツ』の話が出て来るんじゃが、憶えちょるかねぇ?」と、聞いたら、『うん』と頷いたんじゃった。


 「儂は、あの話を見た時、子供心に、凄いショックじゃってねぇ・・・それで、ゴルフを遣りよる時に『名張の五ツ』の話を思い出す出来事に遭遇して、それでゴルフを止めたんじゃ・・・」と、語った。



 『カムイ外伝』は、白土三平の漫画、またそれを原作とするテレビアニメ・ラジオドラマ・映画なんじゃが・・・。



 『カムイ伝』から主人公の一人であるカムイのみを取り出して描かれたスピンオフ的な作品なんじゃった。



 第1回レコード大賞歌手である、水原弘氏が歌った、「カムイ外伝 忍びのテーマ」もかなりヒットしたけぇ、聞き覚えの在る方も多いぃじゃろぉと思う。


 テレビアニメとして放送された『忍風カムイ外伝』は、1969年4月6日から同年9月28日まで、フジテレビ系で、毎週日曜 18時30分~19時00分に、全26話が放送されたんじゃが、高い人気を得ていた為、地方では暫く再放送されたけぇ、儂より下の世代の人でも、記憶に在る方も多いぃじゃろぉ。


 レイちゃんは、東京オリンピックが開催された、1964年(昭和39年)の生まれで、儂とは3歳年下になるんじゃが、亡くなった妻も同じ年の生れじゃが、2月生まれじゃったけぇ、学年としては2つ下じゃった。


 2009年9月19日に、松山ケンイチ主演の映画『カムイ外伝』(松竹配給)で公開された事で、記憶に在る方も多いぃかも知れん。(儂も観に行ったが、色々な意味で残念な映画じゃった)


 原作者である白土三平が、当時の時代背景や登場人物の心情をリアルに表現する為に、R15指定される様な残酷なシーンや、差別用語放送禁止用語が憚る事無しに連発されるけぇ、『カムイ外伝』が再放送される事は無いんじゃが、表現者が、臆する事無く思いのままに描いて表現し、視聴者に伝える事の出来た「好い時代」じゃったと思うんじゃった。



忍風「カムイ外伝名張の五ツ」より  此方より寸借



 名張の五ツ」は、大頭が、カムイを抹殺する為に送り込んだ最強の刺客じゃった。


 じゃが、名張の五ツ」は、カムイとの長い死闘を続ける内に、カムイに共感が湧いて来て、戦って殺し合う事の虚しさを抱き、カムイを殺すと言う任務を放棄し、自らも里を出て抜け忍となり、里の忍者から追われる身となって仕舞うんじゃった。


 話の中に、子供達が、五本の足が在る奇形の蛙を見付けて、それをいたぶって殺そうとしている所に名張の五ツが現れて、子供等に金を与えて逃がして遣るシーンが、象徴的に描かれちょるんじゃが、生まれながらに3本の手が在る奇形児として生まれ、忍びと成って生きて行くしか術が無かった彼の悲哀と優しさが伝わって、子供心に強い衝撃を受けたんじゃった。 



 そんな昔の話もしたと思う・・・。



 「随分前にねぇ、・・・連れとゴルフのコースを回りよった時、連れがOBを打って仕舞ぉて、連れがボールを打ち込んだ、コースの脇に在る、水が少し流れよる溝の所へ探しに入ったんよ。」


 「そしたらねぇ・・・足が何本も生えちょる蛙を見付けたんじゃ・・・」


 「ギョッとしたよ・・・一匹だけかと思ぉて周りを見たら、同じ様に足がよぉけ有る蛙が何匹も居ったんじゃ・・・まともな蛙も居ったんじゃけどね・・・」


 「蛙が苦手な訳じゃぁ無いんじゃが、背筋が寒ぅ成って仕舞ぉてねぇ・・・『名張の五ツ』の話を思い出して仕舞ぉて、ボールを探すんは止めたんよ。」


 「コースを回り終えて、いっっもじゃったら、反省会と称して飲みに行きよったんじゃが、行く気に成らんけぇ、部屋に帰ったんよ。」


 「でね、部屋へ帰って考えたんよ。・・・自然界にも、何パーセントかの確率で奇形で生まれる事が在る・・・人間だって同んなじじゃ。・・・じゃが、あの数は異常じゃ。・・・雑草が生え難くぅにする為の薬が原因なんかも知れんし、もしかしたらゴルフ場を造成する時に、有害物質を含んだ違法な産業廃棄物を埋めちょるんかも知れん。知り合いの大学教授に、環境汚染の調査とか環境破壊への反対運動とかされちょる方が居られて、その先生に知らせようかとも考えたんじゃが、止めたんよ。」


 「なんで?」と、レイちゃんが興味深そうに聞いた。


 「この事を先生に知らせたら、『それ見た事か‼』と、飛び付いてじゃろぉし、マスコミも挙って取り上げるじゃろぉ・・・そぉなったら、大変な騒ぎに成るかも知れん。先ずは、ゴルフ場は営業停止・・・色々な調査も入るじゃろぉ。・・・じゃけぇ、見んかった事にしたんよ。」


 「なんで???」と、レイちゃんが更に興味深そうに聞いた。


 「儂は、一番に、いつも世話に成っちょるキャディーさん等の顔が浮かんだんよ。・・・えぇ人等でねぇ・・・農家じゃと収入が少ないけぇ、キャディーとして働いて家計を助けよるオバチャンとか、母子家庭で子供を育てよる人も居るんよ。・・・確かに、違法な行為をして環境破壊をして、暴利を得ちょる奴が居るんかも知れんし、そいつ等を憎む気持ちも在るんじゃけど、ゴルフ場が営業停止に成ると、忽ち困るんは、一番弱い立場のキャディーさん達なんよ。そぉじゃ、ゴルフ場の草刈りをした金で、孫に小遣いをあげるんを楽しみにしちょるオジサンも居ったんよ。」


 「儂の正義感は、ちぃたぁ満足するかも知れんけど、その為に、その人等の生活が困窮すると思ぉたら、儂にゃぁ公にする気に成れんかったんじゃ・・・」と、言うと 


 「そんな事が在ったんじゃねぇ。」と、オカリナの様な響きの有る優し気な声で言ぅたんじゃった。


 「儂には、あの何本も足が生えちょる蛙が生まれて仕舞ぉたんは、儂に責任が在ると思えたんよ。そぉ考えたら背筋が寒ぅなったんよ。・・・一番悪いんは、悪徳業者なんじゃが、ゴルフを遣る人間にも、なんぼうかの責任が在ると思うんよ。ゴルフを遣る者が居らんにゃぁ、山を削ってゴルフ場を作る必要も無いんじゃけぇ・・・。」


 「人にゃぁ、いちいち止めぇたぁ言わんけど、それからは、儂はゴルフが出来ん様になったんよ。」と、言ぃ終わってレイちゃんを見たら、何も言わんと儂の事を見ながら、何故か涙をこぼしよった。


 レイちゃんが、儂の話の何処に感じて涙を流したんかぁ儂にゃぁ分らんかったし、「何で泣きよるん?」とも聞き難い雰囲気じゃったけぇ


 「詰らん話をして仕舞ぉたねぇ♬」と、無理に明るく振舞って言ぅたんじゃった。



 それで、お互いの関係が、どぉか成ったと言う事じゃぁ無いんじゃが、なぜか此の事を印象深ぉに憶えちょるんじゃった。



『わが愛の譜 滝廉太郎物語』 此方より寸借



 儂は、レイちゃんと親しく成りたいと思ぉて、食事とかドライブとか、誘ぉたんじゃが、全く相手にして貰えんかった。



 今年の6月29日のブログ記事「『わが愛の譜 滝廉太郎物語』の想い出」に、レイちゃんとの初めてのデートについて触れたんじゃったが、ヒロインの鷲尾いさ子さんの冒頭のナレーションが下手糞で下手糞で感情移入できんこぉで、途中の演技も『( ゚Д゚)ハァ?』と、感じるばっかりじゃし、滝廉太郎風間トオル氏が主演し、父親の滝吉弘を、儂の憧れの加藤剛さんが演じるなど、多くの名男優・名女優が出演して好演されちょったのに、愈々残念な映画に成って仕舞ぉちょったんじゃった。



 無理に無理を重ねて、映画好きの彼女を誘う事に成功したんじゃが、ブログに語られている様に、散々な結果に終わったんじゃった。(元々、デートと呼ばれる様な状況でも代物じゃぁ無かったんじゃが、鷲尾いさ子さんの大根役者振りも、若干、影響しちょったじゃろぉ)



 ブログ記事に、「当時、儂が一方的に彼女の事が好きじゃっただけで、彼女からは、好かれちょらんかったし、付き合えそうな可能性を微塵も感じちょらんかったんじゃが、その時に、彼女に渡した儂の名刺が、運命を大きく変える事に成るんじゃが、それは、また、別の話じゃ・・・。」と、書いたんじゃが、別れ際に渡した一枚の名刺が、運命を大きく変える事に成ったんじゃった。



 1993年8月28日(日曜日)・・・よぉ晴れた、矢鱈と陽射しの強い暑い日じゃったが、少し遅めの昼食を済ませると、レイちゃんを家の近くまで送って行って別れたんじゃった。



 これから起こる、激動の展開など、想像する事も無いままに・・・アジアの片隅より