『祈昌の世迷言』・・・アジアの片隅より

離島と本土を繋ぐ日本最小の『暁橋』のたもとから、娘と善き隣人に届けます。

次男飯・・・その⑨




 月曜日は、朝3時から中央市場へ行き、店に帰って食材の下処理や仕込みを終えたら、昼の開店前にゃぁ仕事を上がるけぇ、いつも通り、昼過ぎから、次男の部屋へ寄った。



 いつも通りに、洗濯や部屋の片付けをして、買い物に行き、夕食を用意した。


 今日のメインは、鶏腿肉のソテーに野菜炒めを添えた。


 余り物の野菜で、トマトをメインにした、ミネストローネ風スープを作ったんじゃった。(写真撮りに失敗し、掲載を断念した)



 親の悪い所は似るもので、野菜嫌いの次男は、生野菜などのサラダは大嫌いじゃが、炒め物にすると、幾らかは食べるし、スープやシチューにすると好んで沢山食べるんじゃった。


 サラダに入れたブロッコリーは食べんが、シチューに入れたら結構な量を食べるんじゃった。



 儂は、主治医から、「野菜は、薬だと思って食べてくださいね。」と、言われるんじゃが、儂が同じ事を次男に言ぅても食う訳が無いけぇ、儂の手で、食える形にして促すんじゃった。



 次男は、就職して1年で20㎏太った。
 
 
 そして、就職して2年目の今年の春、現在のワンルームマンションで独り暮らしを始めた。



 別れた妻の所に居った頃よりゃぁ、気持ちほど痩せた気はするんじゃが、目標の60㎏台までは遠いぃ・・・。


 身長も体重も、儂とほぼ同じじゃが・・・取って付けた様な顔をしちょる。


 「父さんはのぉ・・・あんたと同じ20才の時にゃぁ、古武道の大会に軽量級で出よって、55㎏じゃったんじゃ・・・今からオジサン体型じゃぁ、青春は無いど‼」と、言ぅんじゃが、ニコニコしながら危機感は無いみたいじゃ・・・トホホ😞


 『儂やぁ20歳の頃ぁ、親の脛を齧って、好き放題の学生生活をしよったんじゃけぇ、儂よりゃぁ随分立派よぉ・・・』と、いっつも思いよりゃぁするんじゃが、このままで行ったら、確実に40歳までにはメタボの仲間入りじゃぁ・・・。


 満身創痍の儂の二の舞にせん様にと、反面教師としてでしか、息子を導く事の出来ん愚者の儂は、『健康な身体造り』の為にも、忙しい時間の中でも合間を作っては、次男の所へ足を運びよるんじゃった。



 午後3時過ぎまで、彼是と雑用を済ませ、4時にゃぁ長男が通所施設から帰って来るけぇ、次男の部屋を後にしたんじゃった。



送検される熊沢英昭容疑者  此方より寸借



 今日、儂が注目しちょった裁判の判決が在った。



 今年の6月に、東京都練馬区の自宅でひきこもり状態だった長男英一郎さん(当時44歳)を殺し、殺人罪に問われた元農林水産事務次官・熊沢英昭被告(76歳)の裁判員裁判でじゃった。



 検察側の求刑、懲役8年に対して、懲役6年の実刑判決が言い渡されたんじゃった。



 中山大行裁判長は、「強固な殺意に基づく犯行で、短絡的な面があると言わざるを得ない」と述べたらしぃんじゃが・・・。



 『また、中途半端な判決かぁ・・・』と、思ぉた。



 もし、強い殺意を持つて、息子の命を奪ったので有れば、求刑通り懲役8年の実刑、若しくは懲役10年の判決が言い渡されても可笑しくは無い事件じゃったと思う。


 もし、この事件の経緯や背景に在る情状を酌量するので在れば、執行猶予付きの判決が言い渡されても可笑しくは無い事件じゃったと思う。


 儂は、法律とかには疎いけぇ、この量刑が適切なのか否かについて、判断する能力を持っちょらん。


 況してや、農林水産事務次官と言う、華々しい経歴を持ちながらも、一人息子が引きこもりとなり、息子からの暴力に耐えかねて息子を殺して仕舞ぉた「哀れな老人」を、法の下に冷静に裁く事やなんかぁ、儂にゃぁ出来ん。


 ただ、儂には3人の息子が居るけぇ、同じ様な状況には成らんと言い切れんし、全くの他人事とは思えんし、実の息子の命を、自らの手で奪うに至った被告の真情は如何ばかりじゃったろぉと思うと、唯々身につまされてならんのんじゃった。



 じゃけぇ、どがいな判決が下されるんか、注目しちょったんじゃった。



 儂の疎覚えな記憶じゃと、日本最初の裁判員裁判は、戦後間もないGHQ統治下で行われたらしぃんじゃが・・・。



 確か、「酷い姑に、苛め抜かれた若嫁が、姑を撲殺した事件」じゃったと思うんじゃが、定かじゃぁ無い。



 戦後すぐの事で、女性の参政権が無かった為か、選ばれた裁判員は全員男性で、姑を殺した若嫁が、余りにも可哀そうな身の上じゃった為に、皆、情にほだされて仕舞ぉて、結局、「姑殺しの若嫁」は無罪になったらしぃ。



 『これは日本人には不向き』と判断されたんじゃろぉ・・・以後、日本では長らく、裁判員裁判は行われんこぉじゃった。



 「裁判員制度」じゃの「サマータイム」じゃの、GHQは、欧米の制度を、統治下の日本に導入しようとしたんじゃが、馴染まんけぇ断念したんじゃった。



 夕方のテレビのニュースで、裁判の判決の結果を知ったんじゃが、何とも言い様の無い、切ない気持ちに成ったんじゃった。・・・アジアの片隅より