『祈昌の世迷言』・・・アジアの片隅より

離島と本土を繋ぐ日本最小の『暁橋』のたもとから、娘と善き隣人に届けます。

子供等に伝えるべき『父の恋バナ』・・・②




 広島市随一の繁華街、八丁堀から中央通りを南に300mほど行った左側に在る、新天地交番の所の交差点を左折して、すぐの左側に東新天地公共広場が在る。



 此の、赤レンガ風のタイル張りの広場は、紅桃花稲荷大明神や住民集会所も在り、遊具施設は無いものの、イベントなども行われ、繁華街の一角に在る憩いの場になっちょるんじゃった。



東新天地駐輪場(旧・広島市市営東新天地駐車場) 此方より寸借
 
 
 
 東新天地広場の地下は、現在、東新天地駐輪場として利用されちょるんじゃが、10年余り前までは、広島市の外郭団体である「広島市都市整備公社」の駐車場管理部が運営する、「東新天地駐車場」として営業されちょったんじゃった。



 地下1階に、二層構造のスライドプレーン方式の機械式駐車施設が4基在り、150台ほどを駐車出来たんじゃった。



 当時(1993年・平成5年の3月)、儂は、広島市都市整備公社駐車場管理部(市営駐車場での出納業務職)の職員として、この駐車場に配属されちょったんじゃった。



 亡くなった妻と結婚してから、主に鮮魚の卸業を生業としちょったんじゃが、無理な生活が祟り、身体を壊してから、鮮魚の卸業を廃業して、師の計らいで、平成2年(1990年)の4月から、就職し、その年の12月に妻が亡くなってからは、実家に戻って父母と3人での実家暮らしを始め、家業の漁労の手伝いをしながら、市営駐車場での出納業務職を続けちょったんじゃった。



 小泉首相の大号令の下に行われた、郵政民営化をはじめとする公営企業民営化の煽りを受け、広島市都市整備公社の駐車場管理部は、2007年(平成19年)に、業務を民間委託される処と成り、此れにより、駐車場管理部の出納業務職員は一旦、解雇される運びとなり、当時46歳じゃった儂は、45歳以下と言うボーダーラインを越えちょった為に、別の外郭団体への移動は叶わず、リストラの憂き目におぉたんじゃった。



 これに付随して、採算性の悪かった「東新天地駐車場」(旧式の機械の為、メンテナンス費用や、多くの所要人員が必要だった為に人件費が嵩み、採算がとれず赤字だった)は、駐輪場へと移行されたんじゃった。(機械の解体・搬出に莫大な費用が掛かる為、駐車場の機械は、現在も手付かずのままで営業されている) 



 夏は40℃まで温度が上がり、冬は野外と同じ気温にまで冷え込み、防寒着を着ての厳しい業務じゃったが、今では懐かしい思い出なんじゃった。 
 
 
 
 また、余談が長ぉ成って仕舞ぉたねぇ・・・(笑)






 『さんのず』のママさんや友人にゃぁ、全く興味が無い素振りをしちょった儂じゃったが、亡くなった妻に、そっくりじゃと言う、『さんのず』のママさんの友人が経営する『K』と言うスナックのアルバイトの女の子である『レイちゃん』に付いて、物凄く興味が湧いちょったんじゃった。



 じゃが、無理な生活の所為で、腎臓と肝臓を同時に壊して死にかけてから、酒を断った儂が、突然、その店に独りで行く訳にもいかんし、今更友人に一緒に行ってくれと頼むんも気恥しぃけぇ、儂は一緒に行って呉れる者は居らんじゃろぉかと、色々と考えよったんじゃった。



 「儂がおごるけぇ・・・」と、言やぁ、誰か彼か来てくれる者は居りゃぁするんじゃが、事情が事情だけに、人選には慎重を期したんじゃった。



 儂より10歳年下で新人のS君の顔が頭に浮かんだんじゃった。



 「チョッと行きたい店が在るんじゃが、一緒に行って貰えんかのぉ。」と、誘ぉたら、快く引き受けてくれた。



 彼は、学生の頃から駐車場のアルバイトに来ており、気心が知れちょったし、気さくで温厚で真面目な人柄じゃった。



 当時の東新天地駐車場は、午前8時から午後12時までの営業時間で、年中無休じゃった。



 早番と呼ばれる、午前8時から午後9時までの勤務と、遅番と呼ばれる、午前11時から午後12時までの勤務で、どちらも一日おきの隔日勤務で、裏表で、甲班と乙班に分かれちょったんじゃった。



 当時、S君は、儂とは反対番の甲班で、S君が翌日休みになる、3月19に行く事に決まったんじゃった。 



 はぁ四半世紀以上も前の事じゃのに、偉く詳しゅぅ憶えちょると思われるかも知れんのんじゃけど、記憶力がえぇ訳じゃぁのぉて、当時のビジネスダイアリーに、『S君と初めてスナックKに行った』と、書かれちょったんじゃった。



 昭和なアナログオジサンである儂は、今でもビジネスダイアリーを付けよるんじゃが、偶には役に立つ事も在るんじゃった。



 過去の思い出をブログ記事に綴る時、日時とか天気とか、詳しゅぅに書いて在るんは、昔のビジネスダイアリーを見ながら書きよるけぇなんじゃった。 



 またしても、余談が長ぉ成って仕舞ぉたんじゃが、午後9時に、S君の勤務が終わるんを待って、「スナックK」に向かったんじゃった。



 東新天地駐車場と、「スナックK」の在る堀川町は隣接しちょって、歩いて3分も掛からん所に在ったんじゃった。



 先日確かめておいた雑居ビルのエレベーターの2Fのボタンを押してエレベーターに乗り込むと、胸は愈々高鳴っちょったんじゃった。・・・アジアの片隅より