『祈昌の世迷言』・・・アジアの片隅より

離島と本土を繋ぐ日本最小の『暁橋』のたもとから、娘と善き隣人に届けます。

フランシスコ教皇が来日され帰国された・・・

羽田空港に到着したローマ教皇フランシスコ(23日夕刻)  此方より寸借



 キリスト教カトリックの総本山である、バチカン市国ローマ教皇庁)の元首で、ローマ・カトリック教会の頂点に立つ教皇フランシスコ(82歳)が、11月23日の夕刻に羽田空港に到着された。



 教皇の来日は、ヨハネ・パウロ2世の来日(1981年2月23日から26日)以来、38年ぶりであり、史上2度目となった。
 
 
 
 24日には、長崎と広島の両被爆地を訪れ、核兵器廃絶のメッセージを発信された。



 25日には、東京で東日本大震災の被災者や東京電力福島第1原発事故の避難者と交流し、原発の是非に言及された。



 陛下とも会われて会談され、安倍首相とも会見を行われた。



 東京ドームでは、5万人が参列する大規模なミサを執り行なわれ、説教では、日本の現代社会に生きる若者の問題などを取り上げられた。



東京ドームのミサでオープンカーに乗り場内一周するローマ教皇  此方より寸借



 教皇は、来日される前にはタイを訪問なさっておられ、日本でも秒単位のハードスケジュールなんじゃが・・・。



 エネルギッシュで活動的な方らしぃんじゃが、若ぶりたぁ言ぅても82歳じゃけぇ、大変な仕事じゃと頭が下がるばっかりなんじゃが・・・。



 広島に来られた時にゃぁ、『広島で具合が悪りぃなりんさって倒れんとってくれんさいよ。』と、願うばっかりじゃった。



 フランシスコ教皇は、昨日(26日)の午前、上智大学で講演を行い、学生らに「この時代に必要とされる人となってください」などと語りかけられたらしぃ。



 昨日の昼前、帰国に際し、「すべての日本の人に、わたしの訪問中にくださった心のこもった温かい歓迎に感謝いたします」と述べられて、羽田空港からローマに向けて出発された。



来日されたヨハネパウロ二世  此方より寸借



 ヨハネ・パウロ2世が来日されて、広島の平和公園で演説された、1981年(昭和56)年2月25日に、儂は1回生の期末試験を終えた春休みで、広島の実家に帰っちょったんじゃが、当時の儂は、ローマ教皇の偉大さとか、ローマ教皇の発言の重大性や影響力とか、全く理解しちょらんかった。
 
 
 
 キリスト教自体も、宗教とは捉えずに『西洋の道徳』くらいにしか感じちょらんかったけぇ、ヨハネ・パウロ2世が、日本語で「戦争は人間のしわざです。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です。戦争には平和をもって答える事が出来る様、英知と勇気をお与えください。神よ、私の声を聞いてください。そして、この世に、あなたの終わりなき平和をお与えください。」と演説し、反戦核兵器の廃絶を訴えてくださった事が、あの時にゃぁ、どれだけ有難い事であるかを理解しちょらんかったんじゃった。



 キリスト教カトリックの一番偉い坊さんが、広島に来て、たどたどしい日本語で話をした。』ぐらいの感覚しか無かったんじゃった。
 
 
 
 儂が考えを新たにしたんは、亡くなった妻と結婚してからの事じゃった。



 過去のブログ記事でも、度々触れて来た話じゃが、亡くなった妻は、敬虔なカトリックの信徒じゃったんじゃが・・・。
 


 京都生まれで京都育ちの亡くなった妻が、広島に知り合い(カトリック教会の関係者)が多いぃ事を不思議に思ぉて聞いた処、高校2年生の時に、ヨハネ・パウロ2世が来日されて、広島の平和公園で演説された時に、義母や義母の友人と妹と一緒に広島に来て、教皇の演説を聞いたんじゃそぉで、その時に知り合ぉて凄い御世話に成った広島の方達と、その後も親交を深め、何度も広島に来よったらしぃんじゃった。



 全然、知らんかった。



 で、儂と一緒になって広島に来てから、コネクションを使ぉて、すぐに結婚式を挙げる教会を見付ける事が出来たんじゃったが・・・。



 抑々、学生時代、ボランティア活動で顔見知りに成った儂の事が印象に残っちょったんも、純度の濃い広島弁を話す儂に、親しみを感じちょったらしぃんじゃった。



 学生時代に高根の花じゃった亡くなった妻と、縁を結ぶ切っ掛けとなったんは、ヨハネ・パウロ2世じゃったと言えなくもないんじゃった。



 亡くなった妻は、教皇の姿を間近で拝し、演説を直接聞く事の出来た時の感動を熱く熱く語った。



 ヨハネ・パウロ2世は、日本から帰国して間もない1981年5月13日に銃撃され、銃弾は2発命中し教皇は重傷を負ったが、奇跡的に一命を取り留めた。



 その事件から一年後の1982年5月13日にも、銃剣で刺され負傷したが、生命に別状はなく、教皇を暗殺しようとしたクロン神父を祝福し、巡礼旅行を続けられた。 



 亡くなった妻は、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が、如何に素晴らしい人物で在るかを切々と語った。



 亡くなった妻との結婚生活の中で、キリスト教の歴史や教理、その尊さも幾らか理解できるように成ったんじゃった。(じゃけぇ言ぅて、キリスト教に改宗する気にゃぁ成らんかったし、逆に、儂の性に合わんこともよぉ分かった。一神教言ぅなぁ、八百万の神々のおわす国』に生まれ育った儂にゃぁ着いて行けんのんよ)



 とは言え、元々は「イエスキリスト」の教えを受け継いで来ちょるのに、「カトリック」と「プロテスタント」に分かれちょる歴史的経緯は理解できるんじゃが、その教義の違いについては、亡くなった妻は語らんかったし、何と無しに聞けんかったけぇ、未だに解らんこぉじゃった。



 抑々、「一柱の神」から派生した、「ユダヤ教」「キリスト教」「イスラム教」の3つが分かれちょる歴史的経緯は理解できるんじゃが、その教義の違いについては、儂にはよぉ分らんし、元が同じ処から出ちょるけぇ、突き詰めて言やぁ、求める処も目指す処も、同んなじ様に思えるんじゃが・・・関係のない儂にゃぁ、同じ木に、無花果と林檎とオレンジが生っちょる違和感しか感じんのんじゃった。



 違和感だけならえぇんじゃが、この三者は、互いに憎み合い、罵り合い、差別し合ぉぅて軽蔑し合い、殺し合いまでする。



 『世界の争いの根源』に成っちょるんじゃった。



 また話が逸れて仕舞ぉたねぇ・・・(笑)



天皇閣下を謁見したフランシスコ教皇(2019年11月25日) 此方より寸借



 教皇が広島を訪問されるのに合わせて、儂の娘と義母・義理の妹夫婦・義母の友人夫婦が、車で広島へ来ちょったんじゃが・・・。



 先祖代々曹洞宗門徒である義父には関係のない話じゃし、茶舗や茶畑の面倒をみんにゃぁいけんけぇ、独り宇治に残られたんじゃそぉな・・・いとおしい話じゃが・・・。



 仕事が休みの23日の早朝から広島に向けて出発し、広島に到着すると、早速、広島在住の友人や教会の関係者の方々と綿密にたてられたスケジュール通りに過ごしたらしぃんじゃった。



 「折角じゃけぇ、父さんの友達の店で、皆で夕食でも食べよぉや。」と、申し出ちょったんじゃが、「スケジュールが一杯なので・・・。」と、鄭重に断られた。



 娘達に逢ぉたんは、24日の朝に、宿泊したホテルの喫茶で、朝食の時に落ち合わせて、モーニングを食べる30分足らずの間だけじゃった。



 久し振りに顔を観れて嬉しかった。



 皆は、教皇に御逢い出来る』と言う高揚感からか、既に興奮気味じゃった。・・・ミサは夕方からじゃのに・・・。



 お互いに、特に何を話すでも無く、食事を終えると、「それじゃぁ、元気での。」と、言ぅてホテルを後にしたんじゃった。



 娘等だけじゃのぉて、義母の友人夫婦や広島の友人の方々も同席されちょったけぇ、込み入った話は出来んこぉじゃった。



 その後、娘達は、あっちこっちで開かれた催しに参加し、その夜、教皇が来られて行われたミサに参列した後、すぐに京都に向けて立ったらしぃ。



 翌日には仕事が待ち構えちょるんじゃろぉが、実にハードなスケジュールで、『信仰』と言うエネルギーは、頭が下がるばかりなんじゃった。



 25日の未明に、「無事に帰ったえ~ぇ♥」と、写真付きのメールが送られて来ちょった。


 真夜中でも嬉しぃ・・・。



「強姦司教」の逮捕求めデモに参加した修道女たち  此方より寸借 



 日本じゃと、大変な歓待を受けた教皇じゃったが、世界中の訪問国でも同様に歓迎されちょるかと言うと、そぉでも無いらしぃんじゃった。



 寧ろ逆で、ヨーロッパの各地や南米を歴訪すると、教皇カトリック教会を批判するプラカードを掲げた多くの市民が、罵声を浴びせながらデモを行う光景が展開されるらしぃ・・・。



 勿論、大歓迎で迎える多くの市民も居りゃぁするんじゃろぉが・・・



 日本じゃぁ、大きゅぅ報道されんのんじゃが、ローマカトリック教会は、多くの問題を抱えて居り、『存亡の危機』に在るらしぃ・・・。









 他にも細々した諸問題が山積しちょるらしぃんじゃが、教皇フランシスコは、初のアメリカ大陸(アルゼンチン)出身者、初のイエズス会士、初の「フランシスコ」という教皇名、と初物づくしの教皇であり、庶民派との触れ込みも相まって、2013年に登位した当初は、腐敗したキリスト教世界に変革を齎してくれると大いに期待を集めちょったらしぃんじゃった。






 とは言え、世界各国を歴訪し、反戦反核・平和』を、声高らかに訴える教皇の言葉には、被爆国である日本、特に長崎や広島の人々には、『大いなる神のみ使いの言葉』として、心に深く響いたじゃろぉ・・・



 ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は、『聖人』と呼ばれるに相応しい、慈愛に満ち溢れ、カリスマ性を供えた、偉大な人物じゃった。



 ローマ教皇フランシスコ(本名ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ)は、カリスマ性が無い分、親しみ易く庶民派と言われるんかも知れんが、82歳と高齢の為か、帰途の航空機内でのインタビューの映像では、饒舌に語りながらも、かなり無理をされ、ふら付いた感じじゃった。



 キリストへの信仰心の無い儂にとっては、『随分なお年寄りに、無理な旅行をささんにゃぁえぇのに・・・』と、思うばっかりじゃが、『布教活動』と言う側面も有るんじゃろぉけぇ、13憶を超える宗教団体の長としては、「老体に鞭打つのも已む無し」と、言う処なんじゃろぉか・・・。



 今春、退位なさった上皇陛下の、平成天皇の頃の御姿と重なって見えたんじゃった。・・・アジアの片隅より