次男飯・・・その②
林の餅 此方より寸借
「立冬の日」の今日、全国的にも随分と冷え込んだ。
以前のブログ記事で、仕事が早ぉに終わった時に、今年の春から己斐中で独り暮らしを始めた次男坊の所へ寄って、心配じゃけぇ留守部屋の様子を時々見に行って、家政婦さんの様な事をして帰りよると言ぃよったんじゃけど・・・
昨日は、夕方からの仕事で、長男を朝9時に通所施設に送り出して、長男が16時過ぎに通所施設から帰って来るまでの間は暇が在ったけぇ、今週は行けずにおった次男坊の所へ寄る事にした。
長男を送り出したら、直ぐに次男の所へ原チャリで向かった。
林の餅 此方より寸借
宇品から、次男の住む己斐中へ行くには、色々なルートが考えられるんじゃが、己斐橋を真直ぐに抜けて行くんが一番(高架橋を通るけぇJRの踏切にかからない)みやすいけぇ、『天満町・餅の林』の在る交差点を、東から西へ抜けて行くんがベストなルートなんじゃった。
林の餅 此方より寸借
山陽本線のJR己斐駅の北側のワンルームマンションに住んじょる次男の所に行くにゃぁ、通常は、己斐駅傍の、上り方面か下り方面の踏切を通らんにゃぁいけんのんじゃけど、この踏切に掛かると、随分長い事待たされることになるんじゃが・・・。
儂は、気が短い所為か知らんが、この待ち時間が、大の苦手で、ぶち損をした気に成って仕舞ぉて、運気さえ下がった気分に成るんじゃった。
で、次男の所へ行く時は、必然的に、『天満町・餅の林』の在る交差点を、東から西へ抜けて行って、己斐橋を真直ぐに抜けて高架橋を上がって、己斐駅の北側に抜けるルートを通るんじゃった。
『天満町・餅の林』の餅は、近くに在る『広島天満宮』の祭事に使われる餅を作って居られるそうで、その関係から、『菅家』の家紋である「梅紋」が餅の袋にあしらわれちょるんじゃが、菅家と縁の深い我が家の家紋と同じと言うだけで、強い親近感を覚えずには居れんのんじゃった。
良い糯米を使って居られる様で、焼いた時の香りと伸びがよく、深い甘みの有る美味しい餅です。
必然的に、次男の所へ行く時に、時々買わせて戴くんじゃけど、帰り掛けに買わせて戴く事も在るんじゃった。
次男の部屋に到着して、部屋に入ると、思いの外、部屋は片付いちょった。
独り暮らしにも慣れて、幾らか余裕も出来て来たんじゃろぉ・・・。
以前は、どれだけ慌てて部屋を出て行ったかが手に取る様に分かる程の散らかりっ振りじゃった。
炊事場の食器なども洗って、カゴに納められちょった・・・流石に、拭いて食器棚に納めるだけの余裕やコマメさは、身に付いちょらん様じゃが・・・。
洗濯物も、昨日の分だけで、以前の様に、何日分も貯める事は無くなった。
特に、「ベットメーキングをキチンとしちょきゃぁ、部屋の8割方は片付いた様に見えるけぇベットメーキングだきゃぁ整えちょけよ。」と、言う儂の言葉が、最近は身に付いた様子で、いつ来ても、ベットメーキングだけは整えられちょる。
生活に余裕のない人間や、心の壊れた人間は、部屋を片付ける事が出来ん。
逆に、部屋を片付ける習慣が身に付くと、生活が整って、心も安らかに成ると、儂は考えちょるんじゃが・・・。
親の勝手で、次男が小学3年生の時に離婚して、妻の手に委ね、傍で見れんかった尻拭いを、今しよると言う処じゃが・・・。
別れた妻は、幼少期に両親が離婚し、義母が女手一つで育てられた為、働く母を助ける為に、幼い頃から家事全般を熟していた苦労人で、それだけに子供等には甘く、別れた妻が何でもしてくれるので、息子等は、家事全般に於いて何も出来んし、進んで遣ろうと言う気持ちが欠如しちょる。
独り暮らしを始めた時、自炊をする次男は、大好きなスパゲティーの乾麺を茹でる時、少量の塩を加えて茹でると言う事さえ知らず、小さな片手鍋で茹でて、麺を短く折って入れ、いつも吹き零しよった。
休みの日に部屋を訪ねては、一緒に料理を作りながら、そう言う基本的な所から、少しずつ伝えて行った。
じゃが、次男の休日は、日祝日と、隔週の土曜日だけじゃけぇ、なかなか行く機会も少ないけぇ、一緒に料理を作る機会は稀なんじゃが・・・。
蒲鉾の坂井屋 此方より寸借
部屋が片付いちょるんで、洗濯ものを洗濯機に放り込んで回すと、仕上がるまで30分余り・・・『何か作っちゃるかぁ・・・』と、思いながら冷蔵庫を開けて、余り物の食材を見ながら、『雑煮でも作っちゃろぉかぁ・・・』と、閃いた。
次男は「餅」が頗る好き・・・特に「雑煮」には目が無い。
正月以外でも、よぉ食べる。
真夏でも断らん・・・餅好きの儂の影響じゃろぉが・・・。
じゃが・・・足らん食材が有るし、抑々、「雑煮」を炊くのに相応しい鍋が無い。
『買いに行くかぁ・・・』と、思ぉたが早いか、直ぐに部屋を出て、食材を買いに向かう・・・鍋も・・・。
原チャリで走りながら、『おぉ♪、あれも入れちゃろぉか』と、思い付いた。
「坂井屋」へは、以前のブログ記事でも書いたんじゃけど、最初の結婚をした頃、近所に住んじょって、亡くなった妻が大いに気に入って、しょっちゅう買いに行ったモンじゃった。(当時は、「チーズ入りの棒天」は無かったんじゃが・・・)
妻が亡くなった後に、再婚してからも「坂井屋」さんへは、ちょくちょく買いに行きよったけぇ、子供等は幼い頃から食い付けちょるけぇ、ここの味には馴染みが在って、今も好物らしい。
量販店で「ホーロー鍋」を買ぉた。
電磁調理器対応の「土鍋」も在ったんじゃが、扱いが難しぃけぇ、粗忽者の次男にゃぁ向かんじゃろぉけぇやめた。
買い物を終えて、次男の部屋へ戻ってから、30分ほどで炊き上げて、片付けを終えて帰路に着いたんじゃった。
「雑煮」は、出し汁の中に順番に具材を入れて行きゃぁえぇだけじゃけぇ、「関東炊き」の様に、具材毎に、別々の鍋で炊き込む必要が無いけぇ、簡単に出来る所がえぇねぇ。
昨日、夜の9時過ぎに、帰宅した次男から、御礼と、食べ方についての問い合わせの電話が在った。
簡単な説明をして、「夜、遅ぉに食べ過ぎんさんなよ。」と、笑いながら言いもって電話を切った。
次男は、20歳じゃが、身長も体型も、儂とほぼ同じで、顔もよぉ似ちょって、体重も儂とほぼ同じで80㎏余り在るんじゃった。
儂は、今でこそプヨプヨのデブ体型じゃが、大学の4回生の春に事故で入院するまでは、古武術の大会に、軽量級の部で出場しよった関係で、60㎏を切っちょったし、試合に出場する時は、55㎏に絞り込んじょって、当時は「体脂肪率」の計算をする術は無かったんじゃが、恐らく体脂肪率は一桁台じゃったじゃろぉ。
考えてみりゃぁ、60前のオジサンが、当時と比べたら、米二斗分(30㎏)の錘を付けて動きよるんじゃけぇ、そりゃぁしんどいよのぉ・・・主治医が、「膝への負担を軽減させる為にも、少し痩せんさい。」と、仰るのも、よぉ解りゃぁするんじゃが・・・。
解っちょるだけに、次男に「痩せろ」とは言い難い。
「兄さんが甘いけぇ太るんよ‼・・・」と、また、次男が別れた妻に叱られるんじゃろぉが・・・