『祈昌の世迷言』・・・アジアの片隅より

離島と本土を繋ぐ日本最小の『暁橋』のたもとから、娘と善き隣人に届けます。

「ポッキー&プリッツの日」に友を思う

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道頓堀で、11時11分11秒の瞬間を祝う様子 此方より寸借




 今日は、「ポッキー&プリッツの日」の日らしぃ・・・。



 「ポッキーの日」じゃとばっかり思ぉちょったんじゃが、いつの間にかは知らんのんじゃが、「ポッキープリッツの日」に成っちょったんじゃった。



 昨日の夜の11時頃、近所のスーパーマーケットに買い物に行ってレジに並んじょったら、儂の前に、3人の男子高校生が、大量のポッキーをカゴに入れて支払いをしよるんに出くわした。



 ガヤガヤと話しをしよる内容を纏めると、買ぉたポッキーを、クラスの皆に配るらしぃ・・・。



 『グリコの戦略に、ドップリ嵌っちょるのぉ・・・』と、思いながらも、高校生の時の自分と重ね合わせて、微笑ましゅぅ感じて見よったんじゃった。



『グリコ・森永事件』を報じる新聞  此方より寸借



 「ポッキー」とか「江崎グリコ」とか聞くと、『グリコ・森永事件』と、儂の大親友である、神戸の橋本を思い出すんじゃった。



 『グリコ・森永事件』は、1984年(昭和59年)3月18日に発生した、江崎グリコ社長を誘拐して、身代金を要求した事件を皮切りに、江崎グリコに対して脅迫や放火を起こし、その後、丸大食品、森永製菓、ハウス食品不二家駿河屋など食品企業を次々と脅迫し、現金の引き渡しにおいては次々と指定場所を変えたが、犯人は一度も現金の引き渡し場所に現れず、犯人と思しき人物が何度か目撃されたが逃げられて仕舞ぉた為、結局正体は分からんこぉに、未解決事件に成って仕舞ぉたんじゃった。



 1984年(昭和59年)と言うと、2019年6月22日のブログ記事(神戸の橋本にゃぁ、あの時も世話になったねぇ・・・)で書いた様に、前の年の5月に交通事故で瀕死の重傷を負って、11月の末まで入院した為に留年が決定し、『グリコ・森永事件』が発生した頃は、春休みに入ってから、治療とリハビリを兼ねて、四国の善通寺市の吉川老師の所で、修験道の修行をさせて戴いちょった頃で、その総仕上げとして、吉川老師の息子さんに先導して戴いて、四国一周の遍路旅の真っ最中じゃった。



 そんな訳で、テレビとか新聞も、そがいに見よらんかったけぇ、4月に入って大学に復学する為に京都に戻って、大事に成っちょったけぇ、ビックリしたんじゃった。



 大阪で発生した事件じゃのに、京都辺りでも捜査が厳しゅぅて、儂が住んじょるアパートへも、捜査員が幾度となく聞き込みに来た。



 事件が、色々の展開を見せて長引いた為に、様々な場面で、過剰な職質とか交通検問とか、事件の影響を受けたんじゃった。



 殊に、神戸の橋本は、人情味に溢れる真面目な男じゃのに、本真に気の毒じゃった。






 神戸の橋本は、優秀な成績で4回生で卒業し、某県庁の職員として就職したんじゃった。



 今でこそ、「マイカーを持つ」と言う若者は少のぉ成って来ちょるんじゃが、当時の若者(男性)は、就職したら自分の車を持つ事が、一つのステータスじゃったし、借金をしてでも手に入れるのが普通じゃったし、「車の為に働く若者」も結構多かった。



 神戸の橋本も、御多分に漏れず、就職して直ぐに新車を購入したんじゃった。



 彼の場合は「親子ローン」・・・彼には甘い御袋さんから借金をして、キャッシュで買ぉたらしぃ・・・。



 車種は、学生の頃からの憧れじゃった、「NISSAN スカイライン2000 ターボRS・2ドアハードトップ」・・・本真は、中古でも構わんけぇ、ケンメリのGTRが欲しかったらしぃんじゃが、売りよる車が無かったらしい。



 ボディーカラーは「赤」じゃった・・・これがいけんかった。



 車を買ぉてから、自慢方々、休みの日に、神戸から、京都に居る儂の所(御両親には、未だ体調が回復していない儂の様子を見舞って遣る為と説明しよったらしぃんじゃが、実は、2学年年下で、未だ在学中じゃった現在の奥さんと逢う口実にしよったんじゃった)へ、愛車に乗って遊びに来て呉れよったんじゃが、6月頃じゃったかに、『グリコ・森永事件』の容疑者が、赤いスカイラインを使用しよった事が判明してからと言うもの、神戸の自宅(実家)から儂の所へ来るまでに、神戸市内で6、7回、検問所で5回、京都市内に入つても4、5回、信号で停車する度に職質を受けたらしぃんじゃった。



 毎日が、そがいな感じじゃけぇ、折角、買ぉた車に乗るんが嫌に成って仕舞ぉて、京都へ来る時も、オヤジさんのグロリアで来る様に成ったんじゃった。



 じゃが、流石に不便じゃし、事件は複雑化するばっかりで、終息しそうにもないけぇ、神戸の橋本は、折角、購入した愛車を手放す事にしたんじゃった。


 これがいけんかった。



『グリコ・森永事件』の容疑者と言われる「キツネ目の男」  此方より寸借



 車を購入したディーラの所に、事前に車を売りたいと連絡して赴いた処、駐車場に車を止めて降り掛けた瞬間、複数の捜査員に取り囲まれたんじゃった。



 神戸の橋本が電話した時に、偶々捜査員がディーラの所に捜査の為に来ており、手配中の容疑車両と同色同型の車を売りたいとの電話が入り、ディーラの担当者は、「祖父の代から取引の在る家の息子さんで、公務員であり、決して怪しい人では在りません。」と、説明したらしぃんじゃが、問い質した神戸の橋本の風貌が、中肉中背で若干、天然パーマがかかった髪形で、眼鏡をかけており、目は細目で、落ち着いている為に、年齢よりも老けて見える為、手配されている「キツネ目の男」に似ていると言えば似ちょったんじゃった。(実際は、如何にも人の好さそうな顔なんじゃが・・・)



 捜査員は色めき立ったらしい。



 で、神戸の橋本がディーラーの店舗に来店すると予約しちょった日の早朝から、捜査員が集結して待ち構えちょったらしい。



 そのまま任意同行を求められ、所轄の警察署で、厳しい尋問が夕方まで続けられ、オヤジさんと付き合いの在る弁護士の先生の御蔭で、ようやく解き放たれる事が出来たらしいんじゃった。



 結局、神戸の橋本は、車を売却する事を断念したらしぃんじゃが、翌日、髪形を角刈りにし、コンタクトレンズを購入したらしい。



 数日後に、儂の所を訪ねて来た神戸の橋本のイメチェンした姿を見て、儂や後輩達は大いに驚き、一連のエピソードを聞いて、気の毒に思いながらも、呼吸困難になるほど大笑いして仕舞ぉたのは言う迄も無い事じゃった。 



 『グリコ・森永事件』発生から35年が経ち、事件は未解決のまま、2000年(平成12)に時効を迎えた。



 「神戸の橋本」の話も、今と成っては懐かしい笑い話じゃが、江崎グリコを始めとする多くの関連した会社は、商品が売り場から撤去されたり、売り上げが落ち込み、株価が急落する大打撃を受けたんじゃった。



 死傷者こそ出んかったんじゃが、社会を不安に陥れた、凶悪事件じゃった。



 この事件で、多くの大失態を曝した警視庁じゃったが、Nシステムの導入や、近代的な装備の充実などに拍車がかかり、広域捜査の重要性が論議され、組織が抜本的に改革される切っ掛けにもなったんじゃった。



 たぶん、今、同じ犯罪を犯したら、3日も経たん内に犯人が逮捕されるじゃろぉ。



 バブル経済が沸騰する前夜に起きた、ネットや携帯電話も無い、アナログな時代の、色々な意味で『実に巧妙な事件』じゃった事だけは間違い無いじゃろぉ・・・今も真相は藪の中。



 久し振りに、『グリコ・森永事件』に纏わる神戸の橋本のエピソードを思い出して仕舞ぉた。 



 神戸の橋本は、今も儂の特別な大親友じゃ。



 亡くなった妻と駆け落ちして、急遽挙げた結婚式にも、唯一、夫婦で参列してくれた。



 妻が亡くなった葬儀の時も、取り乱した儂を支えてくれた。



 亡くなった妻の命日には、毎年欠かさず夫婦で墓参りに来て呉れる。



 夫婦仲が良く、5人の娘さんに恵まれた。(男の子も欲しかったらしぃんじゃが、・・・ギャンブルに負けた男・・・子煩悩)



 真面目で思い遣りの在る男で、役所じゃぁ随分な出世をしちょって、65歳まで勤務する心算じゃと、去年、亡くなった妻の命日に逢ぉた時に話しよった。



 今も夫婦で、障碍児施設のボランティア活動に参加しよるらしぃ・・・頭が下がる思いじゃ。



 先週、なば(広島弁・松茸)を狩りに行ったけぇ、娘の所と神戸の橋本の所に贈らして貰ぉた。



 毎年の事じゃけぇ、娘の所も神戸の橋本の所でも、鍋を構えて楽しみにしちょるらしぃ。(なばが大嫌いな儂にゃぁ信じ難い感覚じゃが・・・)



 『来月にゃぁ逢えるのぉ・・・このジャムも送っちゃろぉかのぉ・・・奥さんや娘さんが好きじゃけぇのぉ・・・』と、思いながらターナーで混ぜ混ぜ、『11月の柿のジャム』を炊きよったんじゃった。・・・アジアの片隅より