『祈昌の世迷言』・・・アジアの片隅より

離島と本土を繋ぐ日本最小の『暁橋』のたもとから、娘と善き隣人に届けます。

子供等に伝えるべき『父の恋バナ』・・・①

夜の流川界隈  此方より寸借



 1993年(平成5年)の3月の始め頃の事じゃったじゃろぉか・・・。



 その夜も、友人に伴われて、『さんのず』のカウンターの隅っこに座って、ウーロン茶をチビチビ遣りながら、他愛も無い話をしよったんじゃった。



 友人は、些か上機嫌になって、カラオケを2、3曲ほど歌ぉたじゃろぉか。



 で、友人が歌ぉた曲が、亡くなった妻が好きじゃったとか言ぅ話をしながら、いつも財布に忍ばせちょった、亡くなった妻の写真を取り出して、二人で見よったら、さんのずのママさんが、後ろから覗き込んで来て、



 「えぇっ‼・・・レイちゃんじゃない⁉・・・」と、言いながら、写真を手に取って、マジマジと見直しながら



 「あぁ、違うよねぇ・・・この人が亡くなった奥さんなん?・・・綺麗な人じゃったんじゃねぇ・・・うちの友達がやりよるスナックの、アルバイトの女の子で、よぉ似た子がおるんよ。・・・ビックリしたわ♪」と、言ぅて、そのアルバイトの女の子が働きよると言ぅ『K』と言うスナックや、その店を経営しよる、友人である『Kのママ』について話してくれたんじゃった。



 「まぁ一回、見に行ってみんさいや。ビックリするけぇ・・・」と、言われたんじゃが、「いやぁ、未だ、儂の中じゃぁ、喪が明けちょらんけぇ、遠慮しちょきますわ。」と、笑いながら、鄭重に御断りさして貰ぉたんじゃった。



亡くなった妻との結婚写真 1987年(昭和62年)9月6日



 とは言ぅたものの、気になっちょった。



 友人と『さんのず』を出てから、駐車場(酒を飲まん儂は、いつも車で行って、友人のタクシー代わりにされちょった)へ向かう途中に、ママが言ぃよった、『K』と言うスナックは在ったけぇ、場所を確認しに行った。



 店の在る雑居ビルの入り口の所で、「ハッシー、まだ10時前じゃし、行ってみるか?」と、友人が言ぅたんじゃが、行く気は無かったし、亡くなった妻に似ちょると言う女の子は、週末の金曜日と土曜日だけ来よるらしぃけぇ、その日にゃぁ居らんかったんじゃった。 



 すぐに駐車場に向かい、友人を送り届けると、独り、国道2線を、実家に向けて、車を走らせたんじゃった。・・・アジアの片隅より