『祈昌の世迷言』・・・アジアの片隅より

離島と本土を繋ぐ日本最小の『暁橋』のたもとから、娘と善き隣人に届けます。

子供等に伝えるべき『父の恋バナ』・・・プロローグ

広島市の夜の繁華街(薬研堀界隈) 此方より寸借



 はぁ、随分と昔に閉店して仕舞ぉたんじゃが、薬研堀の界隈に、「さんのず」と言う名のスナックが在った。



 正確な番地は、よぉ分らん・・・いつも、この通りの、あそこの角を曲がって右側の何件目じゃったかの、黄色い行燈の様な「さんのず」と書かれた看板を目印に来店した。



 「さんのず」と言う、一風変わった店名の由来を聞いた様にも思うんじゃが、よぉ憶えちょらん。 



 古風な雰囲気ながら、スナックにしては広目の店内に、『如何にもスナックのマスター』と言う様な雰囲気を醸し出している、初老の粋なマスターと、少しポッチャリで愛想の良い素敵なママさんが迎えてくれた。



 「さんのず」は、儂の高校時代からの友人の行き付けの店で、友人に伴われて、学生の頃から通いよったじゃろぉか・・・。



 亡くなった妻と結婚してから暫くは、足が遠のいちょったんじゃが、「独りでメソメソしちょっても詰らんじゃろぉ。」と、言ぅて友人が誘ぉてくれて、時々、夜の街に出掛ける様になっとったんじゃった。






 友人も儂も、テーブル席には座らんと、いつも決まったカウンターの席に座って、友人はキープしてあるウイスキーのボトルでロックを、儂はウーロン茶をチビチビ遣りながら、他愛も無い話をして盛り上がっちょった。



 マスターの奥田幹二氏 は、一見、寡黙そうな感じの方なんじゃが、話すと親しみの在る柔らかい広島弁で話され、儂等の他愛も無い話に付き合ってくださった。



 元は旧国鉄に勤務されて居り、労働組合の関係で、共産党から広島市の市会議員に当選されて、長く市会議員を務めておられた んじゃが、定年により引退されてからは、奥さんが経営されていたスナックのマスターとして、店を手伝って居られたんじゃった。(とても手馴れて居られたけぇ、議員の頃から手伝って居られたみたいじゃが・・・)



 「共産党員」と言うと、『堅物』と言うイメージが有ったんじゃが、実にざっくばらんな大らかで気さくな方じゃった。
 
 
 
 カープサンフレッチェ広島の話題で、よぉ盛り上がったもんじゃった。



 ママさんは、話し上手で、とても愛想の良い素敵な方で、非常に歌が上手かった。



 お客さんから求められて、演歌からポップス迄、何でも素晴らしい歌唱力で歌ってくれた。



 それはえぇんじゃが、儂が行くと、必ず、鈴木聖美 & 鈴木雅之 の「ロンリー・チャップリン」を、一緒にデュエットする様に強要されよったけぇ、これにゃぁ儂ゃぁ往生しよったんじゃった。



 人前で歌うやなんかぁ、恥ずかしゅぅて恥ずかしゅぅて、・・・教会のミサで、大勢に紛れて讃美歌を歌うとかじゃったら何とか歌えるんじゃが・・・とは言え、若い時分には、祭りで頂載(チョウサイ・神輿)を担ぎよった頃、お囃子唄の「伊勢音頭」を唄う役割にされて、大けな声を張り上げて唄いよったもんじゃが、大酒を飲んで酔ぉた祭りの勢いで唄いよったけぇ、恥ずかしぃじゃの言ぅ気持ちは湧かんかったんじゃった。



 歌の上手い友人じゃのぉて、音痴の儂に振って来るんは、最早罰ゲームの様に感じちょったんじゃが、ママさんにしてみりゃぁ、酒を飲まん儂が、友人への付き合いで店に来て、カウンターの隅っこでウーロン茶をチビチビ飲みよるんが気の毒に見えたけぇ、気を遣ぉてくれんさったんじゃと思うんじゃが・・・。



 それにしても、音痴でハモル事も出来ん儂に「ロンリー・チャップリンじゃけぇ・・・ハードルが高すぎて、お笑いにしか成らんかったじゃろぉが・・・盛り上がっちょりゃぁしたんじゃが・・・。



 せめて、「銀座の恋の物語」ぐらいじゃったら、何とか歌えたんじゃろぉが、古過ぎて、当時でも「懐メロ」の領域に入っちょったけぇ、曲名を聞いて、どがいな曲かを分かるんは、儂よりも上の世代の方々だけじゃろぉけど・・・。



最近の奥田民生  此方より寸借 



 「さんのず」で、一人息子の『たみくん』異、奥田民生氏に初めて逢ぉたんは、彼が「UNICORN(ユニコーン)」としてメジャーデビューする前ぐらいじゃったろぉか・・・。



 いつもの様に、友人とカウンターに座っちょったら、彼が数人の友人と店に顔を出した時に、一人息子の民生ですと、ママさんが紹介してくださったんじゃった。



 挨拶を交わした程度じゃったが、如何にもロックを遣っていると言った雰囲気の、明朗な好青年と言う印象が残っちょる。



 ママさんが、彼にも他の人にも「たみくん♪」と呼びよるんを聞ぃて、『子煩悩なんじゃろぉのぉ。』と、思ぉた。



 初めて逢ぉた時は、細面のマスター似じゃと思ぉたんじゃが、あれから30年余りの年を経て、彼も、身も心も丸みを帯びた大人へと成長した。



 最近、テレビやネットなどで彼の姿を見ると、ポッチャリじゃったママさんの顔を取って付けた様な顔に成っちょるけぇ、ママさんの顔と重なって、失礼ながら笑ぉて仕舞うんじゃった。



 ママさんは、美人と言える程の美貌の持ち主じゃぁなかったが、笑顔の素敵な、愛くるしぃ素敵な女性じゃった。



 この、『さんのずのママさん』が、この話のキーパーソン(縁結びの神)になったんじゃが、あの頃の事を思い出しながら、『人の縁とは、何と不可思議なもんじゃろぉ・・・』と、つくづく思うんじゃった。・・・アジアの片隅より