『祈昌の世迷言』・・・アジアの片隅より

離島と本土を繋ぐ日本最小の『暁橋』のたもとから、娘と善き隣人に届けます。

子供等に伝えるべき『父の恋バナ』・・・③

イメージ画像  此方から寸借



 エレベーターのドアが開き、二階のフロアーに出ると、右側に「スナックK」の看板とドアが目に入った。



 歩み寄ってドアの前に立ち、「フーッ」と、大きく深呼吸をした後、『コン・コン』と、二度、ドアをノックした。



 中から返事が微かに聞こえたんじゃが、ドアを開けて中を覗き込みながら、



 「済みません。二人ですが、えぇですか?」と、言うと、椅子に腰掛けて女の子と話し込んでいたママらしき女性が、ニッコリと微笑みながら立ち上がって、


 「いらっしゃいませ・・・今日は、他の御客さんが来られてないんで、好きな所に座ってください。」と、チョッとハスキーな魅力的な声で、愛想よく迎えてくれたんじゃった。


 「レイちゃん♪、御客さんにセットを出してあげてね♪・・・。」と、言いながら、奥の厨房に入って行った。


 儂が店を覗いた時、椅子に座って向こう向きで、ママと話し込んじょったのが「レイちゃん」らしかった。


 「いらっしゃいませ♪」と、立ち上がって振り向いた、その声にギョッとした。


 儂の好きな声じゃった・・・亡くなった妻の声を思い出したんじゃった。


 顔も似ている気はしたんじゃが、実は、儂は、学生の時の交通事故以来、視力に難が有り、裸眼じゃと、右が0.2、失明しかけた左目に至っては0.02と、普段は眼鏡をかけんけぇ、ほぼほぼ勘で行動しよって、街中で知り合いと擦れ違ぉても、相手から声を掛けられんと、知らん顔をして通り過ぎて仕舞う程じゃけぇ、はっきりとは見えんかったんじゃった。


 儂は、カウンターの端っこの席に座り、S君が隣に座った。


 すぐに向かい側にママが立たれて


 「初めての御来店ですねぇ。何方かの紹介ですか?」と、聞かれたけぇ、さんのずのママさんから聞いたとも言い難かったけぇ、
 
 
 「いや、誰の紹介と言う事も無いんじゃけど・・・」と、適当に言葉を濁しちょったんじゃった。



 実は、この事が、『後で笑い話の種』に成ったんじゃが、それは、また、後で語る事にして、取り敢えず、此れが、「さんのずのママさん」の友達である「スナックKのママ」と、亡くなった妻に似ていると言うアルバイトの「レイちゃん」との初めての出会いの瞬間じゃった。






 女性を評する時、「小股の切れ上がった」と、言う表現をするんじゃが、「スナックKのママ」は、将に、そんな感じの女性じゃった。


 何処と無く、歌手のマライアキャリーに似ていた。



 「何にされますか?」と、聞かれたけぇ、『えっ‼』、一瞬、戸惑ぉたんじゃが、


 「いやぁぁ、儂は酒が飲めんけぇ・・・ツトムちゃん(S君の名)、儂やぁ飲めんのんじゃけぇ、どれでもえぇけぇあんたが好きなんを選んでキープしんさいや。」と、S君に振ると


 「えっ‼、ボトルをキープしてもえぇんですか?・・・何でも?」と、儂の顔をちらりと見て、ニヤッとした。


 「おぉ!、どぉせ儂は酒が飲めんのんじゃし、金は儂が払うんじゃけぇ、気兼ねをせんと、あんたが好きなんを頼みんさいよ。」と、言うと、


 「じゃぁ、いっつもじゃったら普通の山崎なんですが、山崎12を頼んでもえぇですか?」と、申し訳なさ気に聞いたけぇ


 「ママ、そう言うことじゃけぇ、其処の山崎12をキープしちゃってください。・・・それと、儂はウーロン茶を一杯くれんさい。」と、頼んだんじゃった。


 儂は、ママから手渡されたボトルに、「ハッシー&ツトム」と書き込んで、ママに預けながら


 「儂は、一滴も飲む事ぁ無いけぇ、精々、若いのに飲まして遣ってつかぁさい。」と、言ぅたら


 「本当に飲めんのんじゃねぇ・・・凄い飲みそうな感じじゃのに・・・」と、少し訝し気な顔をした。


 儂は、その時のママさんの表情と口調に、妙な違和感を感じたんじゃが、その「違和感」の訳も、後に知る事に成ったんじゃった。




 そぉこぅしよる内に、次々と常連客が来店して来て、店は遽しくなった。



 店内には、10席余りのカウンター席と、5~6人座れる程のテーブル席が1つ在って、ママと専属の女の子と、アルバイトのレイちゃんの3人で切り盛りしよるみたいじゃった。



 「スナックK」は、随分前に廃業されており、写真が無い為、イメージ画像として、雰囲気が一番似ていた、広島市中区銀山町12-22 イギリス館 3Fに在る「ファニー」さんの画像を、サイトから寸借させて戴いた。





 その日の客は、年配者の常連客ばかりで、話の内容からすると、ママがクラブのホステス時代からの馴染みで、開業医じゃの、何処其処かの会社の会長さんじゃの、一年取った方々ばかりじゃった。


 そうなった理由は、儂にも分る。


 当時、週休2日制はすでに定着しつつ在って、「花金」と言う言葉が、バブル景気の中で生み出されちょりょあぁしたんじゃが、翌日の3月20(土曜日)が春分の日の祝日で2連休じゃったんじゃが、当時の一般的なサラリーマンの給与の支給日は25日が大半で、給料前の連休の為、サラリーマンで飲みに出る者は少なかったんじゃろぉ・・・。


 逆に、外郭団体も含めた役所勤めの給与の支給日は20日で、20日が休みの為、前日の19日に支給されるので、この日は儂等の給料日で、当時は、現金手渡しで支給されよったんじゃった。


 それに、この日は、昼過ぎから雨で、夕方からは、割と強めの雨が降り続いちょったんじゃった。



 いつも思う事じゃが、儂の人生の重要な日には、必ず雨が降りよる様な気がする・・・。



 徐々に店内の雰囲気も盛り上がって来て、儂等の所へもカラオケのマイクが回って来て、ママに勧められたんじゃが、音痴の儂は遠慮させて貰ぉて、S君に役を任せたんじゃった。


 空気の読める男じゃったS君は、テレビ時代劇「水戸黄門」の主題歌「あゝ人生に涙あり」じゃの、植木等「ハイそれまでョ」を歌ぉて、オジサマ方から、大きな拍手を戴き、「あんたの様に若い人が、このを歌ってくれるんは嬉しい。」と、感激されて、随分と御酌を賜っちょったんじゃった。


 そんな中で、儂は、店のカウンターの隅っこで、ウーロン茶をチビチビ飲みながら、「レイちゃん」の声や様子を追いかけちょったんじゃが、儂等の相手は、終始、ママがしてくれちょったけぇ、レイちゃんが、儂の相手をしてくれる事は無かったんじゃった。



 S君は、随分と上機嫌に成っちょったんじゃが、午後11時半に成り、車を駐車しちょった市営東新天地駐車場の午後12時の終業時間が付かづいちょったけぇ、店を出る事にした。



 会計を済ませて、店を出る時、ママとレイちゃんが、一階のビルの入り口の所まで見送ってくれた。



 その時、エレベーターの中で、初めてレイちゃんの横顔を近くで見る事が出来たんじゃった。(とは言え、視力に難の在る儂は、ボーっとしか見えんかったんじゃが・・・)


 その時、亡くなった妻とレイちゃんの、大きな違いに気が付いたんじゃった。


 亡くなった妻は、175㎝で、儂(167㎝)より随分と背が高かったんじゃが、並んだレイちゃんの額が、儂の目線の辺りじゃったけぇ、160㎝有る無しぐらいじゃろぉか・・・。



 レイちゃんは、「必ず、また来てくださいね。」と、オカリナの様な余韻の有る素敵な声で言うと、右の手の平を、顔の真横で一杯に開いて、小刻みに振りながら見送ってくれたんじゃった。



 その真白な手の平が、とても小さく見えたけぇ、『この人、短気な人なんかのぉ。』と、思ぉたんを、何故か印象深く憶えちょるんじゃった。



 駐車場へ戻って車を出し、S君を家に送り届けると、雨の2号線を、実家へと向かって、独り、車を走らせたんじゃった。・・・アジアの片隅より