『祈昌の世迷言』・・・アジアの片隅より

離島と本土を繋ぐ日本最小の『暁橋』のたもとから、娘と善き隣人に届けます。

次男飯・・・その⑧

康午橋東詰より宮島を望む  12月11日午後3時頃 



厳島 西日にかすみ 長閑なり


 駄句である



 今日は水曜日で中央市場が休市日の為、夕方から仕事に入るけぇ、午前中は、病院回りをしたんじゃった。



 内科に整形外科に皮膚科・・・以前は、歯科医院と、恥ずかしながらの持病の治療も在ったんじゃが、御蔭様で最近は良好で、どちらも半年に一回の定期健診のみになっちょるんじゃった。



 内科では、「痩せるのが一番の薬」と言われ、整形外科じゃぁ、「良ぉなる事は無いけぇ、辛抱しんさい。」と言われ、皮膚科じゃぁ、「料理人をすると手荒れに成る運命じゃねぇ。」と、笑いながら言われた。


 『Destiny・・・』・・・じっと手を見る。



牛腿肉の野菜炒め添え特製ソースけがけ



 昼から、次男の部屋へ寄った。



 いつも通りに、洗濯や部屋の片付けをして、買い物に行き、夕食を用意した。



 此の処、鍋料理ばっかりじゃろぉけぇ、炒めた牛肉に野菜炒めを添え、それだけじゃぁ冴えんけぇ、牛肉と野菜炒めを小分けして、牛肉の野菜スープを作った。



 「ハッシー、スープの添えてない食事は、キチンとした食事じゃないよ。母さんが言ってたよ。」と、英雄君が言ぃよったのを思い出した。 



 英雄君とは、以前のブログ記事でも書いた、学生時代に知り合ぉた、モンゴルから京大へ留学して来ちょった儂の親友じゃった、ドルジ・バータルの愛称(彼の名であるバータルは、モンゴル語で「英雄」と言う意味で在る事から儂が名付けた)じゃった。



 英雄君は、儂の部屋へ来ては、一緒に食事をしよったんじゃが、食事の時、味噌汁とかスープとか、或いはカップヌードルとか、必ず汁物を添えて食事をしよったんじゃった。



 それに釣られて、儂も、食事の時に、必ず汁物を添えて食べる習慣が身に付いたんじゃった。



 儂は長らく、「モンゴルでは食事の時、必ず汁物を添える」と、思い込んじょったんじゃが、あれ以後、幾人ものモンゴルから来られた人々と知り合うことが出来たんじゃが、その人達から聞き及んだ話からすると、「バンタン」などのスープ料理は有るものの、それ程、食事の時の汁物に拘りがある訳でも無いみたいじゃった。



 「汁物が在ると嬉しぃ」くらいの感じらしぃんじゃった。



 去年、モンゴルから広島大学へ留学しちょる女子大生に、この話をしたら、



 「きっと、土師さんの友達は、大金持ちの息子さんなんですよ。普通の家では、そんな事は無いですから・・・。」と、笑いながら話してくれた。



 確かに、英雄君から、彼の両親や身内の話を聞いた時、儂は凄く驚いたんを思い出した。



 彼の父親は、党の幹部で、叔父さんとか親族に、国会議員とか県知事が大勢おって、お袋さんの父親は、モンゴルでも有数の企業の代表じゃったらしく、お袋さんの弟達も、企業の幹部を務めちょるらしかった。



 英雄君自身も、成績は優秀で、北京大学を経由して、京都大学の大学院へ留学しちょったけぇ、相当な学力が在ったんじゃろぉと思う。



 語学も堪能で、中国語や英語は勿論の事、ロシア語やドイツ語も堪能じゃった。



 今でこそ、中国やモンゴルから、多くの留学生が来日しよるんじゃが、もう40年近くも前の事じゃけぇ、今とはモンゴル国内の社会情勢も、中国やロシアなど、モンゴルを取り巻く世界情勢も、随分と厳しかったじゃろぉけぇ、留学するには、相当の学力と、強力なコネクションが必要じゃったじゃろぉ・・・。



 今にして思やぁ、国費で留学しちょった英雄君は、エリートの中のエリートじゃったんじゃろぉと思うんじゃった。



 じゃが、当時の儂は、此のモンゴルから来た、3歳年上で、超お坊ちゃまで、超エリートの、身長187㎝の留学生に、「英雄」と言う日本名を勝手に付けて溜口を叩きよったんじゃが、英雄君の方も、それを咎める事もせず、「ハッシー、何しよるん。」と、ニコニコしながら、儂の部屋やバイト先を訪ねて来てくれよったんじゃった。



 人情味の篤い、明るく大らかな心を持った、気持ちの良い男じゃった。



牛腿肉の野菜スープ



 英雄君は、儂が、バイト先のドライブインで貰って来た、余り物の食材で作った「牛肉の野菜スープ」が、物凄い好きじゃった。



 遠慮もせんと、鍋が空に成るまで吸いよった。 



 「美味しい‼」と、スープを飲む彼の声が好きじゃったし、何より嬉しかった。



 本真の事を言おう・・・



 英雄君は、儂に、「ハッシー、スープの添えてない食事は、犬の餌だよ。母さんが言ってたよ。」と、ニコニコしながら言ぅたんじゃった。



 儂は、憤慨して声を荒げて、「何じゃとぉ‼・・・犬の餌じゃぁ‼・・・何ぃ抜かしゃぁがるんなら‼」と、怒鳴り付けて仕舞ぉたんじゃった。



 英雄君は、儂が何で怒ったんか意味が解らんかったし、「・・・何ぃ抜かしゃぁがるんなら‼」、言う、儂の言葉も通じちょらんかったみたいで、キョトンとして呆気に執られた表情で固まっちょったんじゃった。



 で、いつもの様に、英雄君が、「ハッシー⁈・・・今のは何て言った?」と、焦って聞いて来たけぇ、儂は逆に可笑しさが込み上げて仕舞ぉて、平静を取り戻して



 「英雄ぉ~っ♬、人が食いよるモンを犬の餌じゃとか言ぅたら、日本じゃぁぶち殴られるでぇ・・・頼むでぇ♪」と、笑いもって言ぅたんじゃった。



 「犬の餌って言ったらいけない事⁈・・・ハッシー、悪かった。御免やね。」と、ニコニコしながら言ぅたんじゃった。 



 これには伏線が在る。


 モンゴル育ちの英雄君は、鶏料理を食べた事が無いらしゅぅて、彼が儂の部屋へ遊びに来ると言うんで、色々と食材を準備して、儂の得意の親子丼を作って振舞ったんじゃった。



 味噌汁ぐらい作りゃぁえかったんじゃが、如何せん、貧乏学生の独り住まいじゃけぇ、そこまで気が回らんかったんじゃった。



 喜んで貰ぉぅと、腕によりをかけて一生懸命に作って、大きな丼に御飯も具も大盛りにして、向かい合ぉて、さぁ食べようかと卓袱台に置いた時に、あのセリフを言われたもんで、一気に頭にきて仕舞ぉたんじゃった。



 で、気を取り直して、すぐに、買い置いて在った「永谷園の松茸のお吸い物」を作って、親子丼を食べたんじゃった。



 英雄君は、初めて食べる親子丼を、いつにも増して美味しそうに食べよった。(岩塩だけで味付けをするモンゴル料理しか食べて来ちょらんかった彼は、醤油や酢や味噌や香辛料を使い、様々な旨味成分を用いた日本の料理には、何を食べても感激しよったんじゃが・・・)



 あの頃、英雄君は、日本に来て半年ほどじゃったし、日本語が達者じゃぁなかったけぇ、ボキャブラリーが足らん所為も有ったじゃろぉ・・・。


 「自分達の先祖は狼」とするモンゴルの人々には、「犬の餌」と呼ぶ事に対する感覚も、日本人とは違ぉちょったんかも知れん。


 彼が生まれ育った、ウランバートルの文化は、中国圏の影響を大きく受けちょったじゃろぉし、お嬢様育ちで在る彼のお袋さんは、食事に汁物が付かん簡易な食事を、「礼を失するモノ」と考えちょったんかも知れん。



 いずれにせよ、「犬の餌」と言った英雄君には、何の悪意も無かったんじゃった。



 英雄君に声を荒げたのは、後にも先にも、あの時だけじゃった。



 夕方に仕事に行く前に、息子の夕食に添える「牛腿肉の野菜スープ」を作りよったら、今は亡き親友を思い出して仕舞ぉて、些か寂しい気持ちに成ったんじゃった。・・・アジアの片隅より