次男飯・・・その⑩・・・今日は「七草」じゃが・・・
儂の家は代々、太宰府天満宮の氏子じゃが、「七草」の今日、太宰府天満宮では、夕刻から『鷽替え』の神事が行われるんじゃった。
毎年、太宰府天満宮に初詣に行くんじゃが、1月7日の『鷽替え』の神事にゃぁ、はぁ何年も言った事が無いんじゃった。
料理請負人の仕事をし始めてから此の方、元日から大晦日まで、ほぼ無休で仕事をしよるけぇ、7・8日と休みが取れんけぇ行く事が出来んのんじゃが、『鷽替え』の神事の後に斎行される「鬼すべ神事」の炎にあたらんと、無病息災とか開運招福とか叶えられん様な気がして、年の始まりを感じる事が出来んのんじゃった。
大して美味ぉも無い「七草粥」(儂は、粥じゃの雑炊じゃとか、柔らかい御飯が大嫌いなんじゃった)を食べたくらいじゃぁ、元気に成れそぉにゃぁ無いんじゃった。
とは言いながら、古からの年中行事を怠らん儂は、再婚してから、毎年、「七草粥」を炊いちゃぁ、余った「七草粥」を嫌そうな顔もせんと、仕方なしに食べよったんじゃった。
昨日炊いておいた鶏鍋
で、仕事を終えてから、「七草粥」を炊いてやろうと思ぉて、次男の部屋へ寄ったんじゃったが・・・(本来なら「七草粥」は朝に食す)
昨日、夕食にと作っちょった鶏鍋には一切、箸を付けちょらんみたいじゃった。
昨日炊いておいた御飯
御飯も炊いたまんまじゃった。
鶏鍋は、正月の余った餅をチンして一緒に炊く様に、メールで伝えちょったんじゃが・・・。
抑々、鶏鍋は、次男が仕事を終えて帰宅してから、餅を加えて炊き直した時に、一番良い塩梅に成る様に加減して炊いて在る。
今日の晩に温めて食べたんじゃぁ、本来の旨みは半分以下に成るんじゃった・・・。
朝食用に買って置いたパンを食べたらしぃ・・・ゴミ箱にパンの袋が捨ててあった。
寒い中、帰宅した時に鍋物でも食べればと思ぉたんじゃが・・・『親の心子知らず』と、言事か⁈・・・親不孝者の儂が言えるセリフじゃぁ無いんじゃが・・・
スーパーで買った七草セット
で、炊飯器の中の手付かずの米を見て「七草粥」を炊く事を断念したんじゃった。(コメが無駄になったらいけんけぇ・・・)
『余り御飯が在った時は焼き飯を作る』と言う「次男飯の法則」が発動したんじゃった。
残った鶏鍋に足す積りでスーパーで買っておいた牛肉
いつもの様に、焼き飯とオムライスを作る事にしたんじゃったが、次男も儂と同じく、お粥とか柔らかい御飯が嫌いじゃけぇ、買った「七草セット」を刻んで入れる事にしたんじゃった。
先ずは七草を刻んでおく
牛肉を刻んで炒めて別容器に取っておく
余り物の人参を刻んで炒める
人参がシンナリしたら蕪と大根を入れて炒める
シンナリしたら葉っぱを入れて炒める
炒めておいた肉を入れて炒める(調味料を加えて、好みの味付けにする)
炒め終わったら具を半分にして別容器に取っておく(オムライスの具材にする)
常温にしておいた鶏卵を、クッキングペーパーを敷いた皿の上に割り入れて水分を抜く(こうすると焼き飯がべちゃ付かない)
具材の中央をドーナッツ状にして鶏卵を入れてスクランブルエッグを作る要領で炒め、焼けたら全体と混ぜ合わせる
御飯(一合分)を加えて炒める・・・(調味料を加えて、好みの味付けにする)
出来上がり
七草入り焼き飯(牛肉だらけで七草は目立たんのじゃが・・・)
七草入りオムライス(何も見えんのんじゃが・・・)
牛肉をシコタマ入れた焼き飯やオムライスに入れたんじゃぁ、七草の本来の意味が無いんじゃが・・・
『気は心』たぁ言ぅけぇ、気持ちだけでも汲み取って欲しいと思うんじゃった。
追記・・・焼飯などは、作り置きするとセレウス菌が繁殖して、場合によっては死に至る食中毒を引き起こす危険が在ります。
作り置きする場合は、よく冷ました後にラップをして、5℃以下で保存し、翌日中には食べてください。
鬼すべ神事 此方より寸借
今夜、太宰府天満宮では、地元の氏子達によって、勇壮な火祭り「鬼すべ神事」が執り行われた事じゃろぉ・・・。
「鬼すべ神事」は、その年の災難消除や開運招福を願って行われる。
「七草粥」も、その一年の無病息災を願って平安の古から食べられてきており、唐の説話を起源としちょるらしぃんじゃが・・・。
儂は、漁師の息子として生まれ育った。
漁労は、四季の移ろい、月の満ち欠けと潮の満ち引きに順じて魚を追い求めて捕らえ、それを生業とする。
その所為じゃろぉ、盆も正月も七草も、年中行事は全て「旧暦」で行われよった。
今年じゃったら、「元日」は1月25日で、「春七草」は1月31日に成るんじゃが、儂は個人的には、今も旧暦で年中行事を行いよって、1月31日には「七草粥」を炊いて食べる予定で居るんじゃった。(お粥は嫌いじゃし、スーパーで「七草セット」を売りよらんけぇ、自分で探すんも大変なんじゃけど・・・)
全て、亡くなった父の影響なんじゃった。
父は、小学校5年生の時に終戦を迎え、戦後の混乱の中で中学校へも通わず、無学な男じゃった。
じゃが、人の道理を弁えた人物で、情に厚く、誰からも慕われる人物じゃった。(その分、人に利用されたり騙されたりで貧乏をしちょったんじゃが・・・)
子供の頃、悪戯をしたり喧嘩をしても、酷く叱られる事は無かったが、一つだけ、こっ酷く叱られる事柄が在った。
『食べ物を粗末にする事』じゃった。
「父さんはのぉ、戦争の後の食べ物の無い時代に子供じゃったけぇ、食べ物が無い為に飢えて栄養失調に成って死んだ人等をよぉけ見て来た。今は魚を獲って生活しよる。今まで何万匹、何十万匹の魚を殺して来たんか自分でも分らんぐらいじゃ・・・そぉ遣ってお前等を養ぉて来たんじゃ。」
「人言ぅモンは、魚や牛や豚や鶏の命をとって食べて生きちょるんじゃ。それだけじゃぁ無いで・・・米や野菜にも命が在るんじゃ。人が生きる為にゃぁ、他の生き物を殺して食べていかんにゃぁいけんのんじゃ。」
「その命を戴くんじゃけぇ、粗末にしちゃぁいけんのんじゃ。」
「それとのぉ・・・寒い海で魚を獲る人が居る。暑い夏の畑で草抜きをしよる人も居る。辛くしんどい思いをして牛を育てる人も居る。美味しゅぅに食べて貰いたいと思ぉて料理を作る人も居るんじゃ。」
「食いもんを粗末にする言ぅ事は、生き物の命と、その人等の努力と気持ちを、全部をゴミ箱に捨てて、全部を無駄にして仕舞うと言う事なんじゃ。」
「じゃけぇ、食いもんを粗末にするんは許されんのんじゃ。」と、父は言いよった。
儂は、この言葉を、父からおらばれ(広島弁・怒鳴られ)ながら、激痛の拳骨と一緒に、何度、擂り込まれた事じゃろぉか・・・。
じゃけぇと言う訳じゃぁ無いんじゃが、子供等にも同じ事を言い続けよるんじゃった。
言葉を解さない長男にさえ、同じ事を言いよるんじゃった。(食べ残しをしたら叱られる事は理解しちょるんじゃった・・・流石に拳骨は擂り込まんけど・・・)
「七草粥」の風習も、贅沢や飽食を戒め、「食」に感謝する心を喚起する為の「先人の知恵」であったろぉと思えるんじゃった。
こがいな事を思いながらも、『こがいなモンを食いよったら、逆に太るよのぉ。』と、思いつつ、フライパンを振りよったんじゃった。・・・アジアの片隅より