新型コロナウイルスとの闘いに思う・・・大きな不安
病棟で治療を受けるスペインかぜに罹患したフォート・ ライリー陸軍基地の兵士 此方より寸借
そして、心の中に『大きな不安』が広がって行くんを、抑え切れん様に成った事を書いた。
記事の最後に、心の中に産まれた『大きな不安』は、自分が感染して仕舞うと言う、儂の個人的な「小さな不安」など、一瞬の内に覆い隠して埋めて仕舞う様な巨大で強力な代物で、心の中に重く圧し掛かって、時間の経過と、新型コロナウイルスの爆発的な広がりと、刻々と展開する、日本や世界の情勢の変化によって、その「大きな不安」は、「大きな恐怖」へと変貌しよる事を伝えて記事を〆たんじゃった。
ニューヨーク、ベルリン、パリ、ロンドンの死亡者数のグラフ 此方より寸借
それにも増して、交通網が高速でグローバル化した現在の社会では、スペイン風邪が猛威を振るった100年前よりも、遥かにスピーディーに広がって、人類史上最大のパンデミックが起こって、人類史上最大の犠牲者を出して仕舞うんじゃないかと言う不安じゃった。
1918年1月から1920年12月まで世界中で5億人が感染したとされ、これは当時の世界人口の4分の1程度に相当する。
その中には太平洋の孤島や北極圏の人々も含まれた。死者数は1,700万人から5000万人との推計が多く、1億人に達した可能性も指摘されるなど、人類史上最悪の感染症の1つである。
仮に、全校生徒が480人で、一学年毎に40人のクラスが2クラス在る小学校が在るとすると・・・。
全校で120人の生徒が感染し、一クラスで1人か2人の死者が出たと言う勘定に成るんじゃった。
恐るべき数字である。
それ程に恐ろしぃ感染症が、100年前に猛威を振るったんじゃった。
マスクをつける日本の女性達 此方より寸借
日本では、当時の人口5500万人に対し、ほぼ半数の約2300万人が感染したとされ、少なくとも39万人が死亡したとされちょるんじゃった。
『スペイン風邪』と聞くと、「スペイン辺りから流行した特殊な病原菌による風邪」と、感じて仕舞うんじゃが、実は、スペイン風邪の原因は、毎年の様に流行しよる「H1N1型インフルエンザウイルス」なんじゃった。
未だに、毎年の様に流行し、時折、「今年もインフルエンザが流行し始めた」とか、「インフルエンザの為に何処其処彼の小学校が休校になった」とかの報道がなされ、流行の程度にもよるんじゃが、日本では毎年、2000人から3000人くらいは、インフルエンザが原因で亡くなりよるんじゃった。
じゃけぇと言ぅて、今回の様な大騒ぎには成らんし、怖がりもせん様になったんじゃった。
現在では、特効薬が開発され、ワクチンの予防接種も普及して、それ程、脅威を感じる病気では無くなったんじゃった。
世界に猛威を振るって多くの犠牲者を出した『スペイン風邪』じゃが、3年余りで終息した。
当時の技術では、特効薬を作る事もワクチンを接種する術も無かったんじゃが、「集団免疫」を身に付ける事によって、爆発的な感染(パンデミック)を防げる様に成ったんじゃった。
「弱い者は滅び、強い者が生き残った」・・・インフルエンザウイルスによって自然淘汰が成されただけで在って、インフルエンザウイルスに人類が勝利した訳じゃぁ無かったんじゃった。
今回は、どれだけ多くの犠牲を払う事に成るんじゃろぉか?
いくら100年前とは比べ物に成らん程、医学や医療技術が発達したとは言ぅても、有効な特効薬も無く、ワクチンの開発に相当な日数の掛かる事が予測される現状じゃと、対処療法しか無く、感染したら、本人の免疫力と体力の強さしか頼るモンが無いんじゃった。
最大の防御策は、「感染しない事」に尽きるんじゃった。
戦前の日本の政治体制下や、中国共産党の一党独裁体制下で行える様な、強権な政治力を行使する事が出来無い、民主主義国家の日本では、出来る事が限られるのは、連日のニュースを見よったら小学生でも理解できるじゃろぉ・・・。
『腑抜け』と感じるかも知れんが、第二次世界大戦の戦勝国から押し付けられた憲法と民主主義を掲げる我が国には、限界がある事を、この際じゃけぇ国民一人一人が再認識すべきえぇ機会じゃと、儂は思いよるんじゃが・・・。
今日の千田廟公園(午後4時頃)
今日の午後、長男を連れて買い物に行く序に、いつもの様に、千田廟公園に立ち寄ったんじゃが・・・。
人が多いぃのに、些か驚いたんじゃった。
3月14日のブログ記事でも、公園に人が多いぃ事に触れたんじゃが、あの時の比じゃぁないんじゃった。
ざっと見渡しても、100人を優に超えちょったじゃろぉ・・・自転車だけでも50台くらいは駐輪されちょったじゃろぉか・・・小さな公園なんじゃが・・・。
例年、公園内で花見をされる利用者も多いぃけぇ、この時期には多いぃんじゃが・・・。
人出は異常に多かったが、流石に、シートを敷いて弁当を食べたり酒盛りをする方は見受けられんかった。
桜は満開、空は晴れ亘り、温かな陽射しは心地良く、気持ちの良い風が流れて来て、仄かに桜の香りも漂って来る。
ただでさえ気持ちが高揚して仕舞う状況じゃし、此の処の抑制された鬱憤から解放されたかの様に、皆が皆、にこやかに燥ぎ廻っちょったんじゃった。
誰もが幸せそうな笑顔じゃった。
大人も子供も幼児も、遊具や手すりに触れ、ボールを投げて渡し合い、砂場では玩具のスコップで山を造ったり穴を掘ったり・・・。
微笑ましくも有るが、『大丈夫なんじゃろぉか⁈』と、不安な心持で観よったんじゃが・・・。
息子が使うブランコの鎖を、除菌クリーナーで丁寧に拭いて、息子の手に手袋を嵌めて、ブランコで遊ばせた。
1時間ほどブランコを漕ぎ続けたけぇ、「はぁ帰るでぇ‼」と、声を掛けたら、ササッとブランコから降りて、儂の手を引いて、イオンみゆき店に向けて歩き出したんじゃった。
息子と手を繋いで歩きながら、楽し気な人々の歓声を聞きながら思ぉた。
『新型コロナウィルス騒ぎも、三年もすりゃぁ自然と終息するじゃろぉ・・・じゃが・・・それまでに、何人の犠牲者が出るんじゃろぉ?・・・どれだけの経済損失がでるんじゃろぉ?』と・・・。