『祈昌の世迷言』・・・アジアの片隅より

離島と本土を繋ぐ日本最小の『暁橋』のたもとから、娘と善き隣人に届けます。

相模原障碍者施設殺傷事件・・・三年経って・・・

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事件を報道した新聞記事  此方より寸借

 


 此の処のメディアでの報道は、6月7日発売の「フライデー」報道に端を発した、吉本興業関連の一連の騒動に大半を占められちょるんじゃが・・・。



 『相模原障碍者施設殺傷事件』と聞いても、記憶の彼方に飛んで仕舞ぉて、ピンと来ん人の方が多いぃじゃろぉ・・・。



 3年前の今日、神奈川県立の知的障碍者福祉施設津久井やまゆり園」に、元施設職員の植松聖(犯行当時26歳)が侵入し、所持していた刃物で入所者19人を刺殺し、入所者・職員計26人に重軽傷を負わせた大量殺人事件である。



 殺害人数19人は、当事件が発生した時点で第二次世界大戦(太平洋戦争)後の日本で発生した殺人事件としてはもっとも多く、事件発生当時は戦後最悪の大量殺人事件として、日本社会に衝撃を与えた事件じゃったが、目まぐるしいスピードで過ぎて行く現代社会の中じゃと、「あぁ、そう言われたら、そんな事も在ったね。」くらいで語られて仕舞うんは、そう言う世情なんじゃろぉ。



 テレビを見よったら、こんなニュースが流れよった。
 
 
 



 事件の被害者や、その家族・・・多くの関係者にとっては、どんな日々じゃったんじゃろぉか?・・・。



施設の元職員の植松聖(犯行当時26歳) 



 此方より寸借 犯行を犯し、多くの人々の命を奪い傷付けた、施設の元職員の植松聖については、現在、横浜地裁に於いて、2020年3月末までに判決が言い渡される見込みで公判中らしい。



 3年間の拘留生活を経ても、「人ではないから殺人ではない」「知的障害者はいなくなるべきだ」との基本的な彼の考えは、全く変わっちょらんらしい。



 公判では、精神保健福祉法に基づき措置入院させられた経歴の有る植松聖の、「刑事責任能力の有無・程度」が最大の争点になっちょるんじゃが、「被告に責任を問えない」との判決が言い渡される可能性が高いらしい。



 儂は、『重大犯罪に対して「死刑」にする事で罪が贖えるのか?』と言う問題に対して、明確な答えや判断を持っちょらんのんじゃが、『酒鬼薔薇聖斗事件』東慎一郎(出所後は西岡真と改名)の様な、凄惨な殺人を犯した犯人が、公然と世の中に出て来て生活して居る事には、大反対じゃし、恐怖を感じるんじゃった。



 もし、植松聖が、何年か後に、名前を変えて、この社会で生活を始める日を想像しただけで、恐ろしい・・・。



 先日の、「京アニ放火殺人事件」の犯人とされる青葉真司も、精神科への通院歴などが在るらしく、『刑事責任能力を問えずに無罪に成る』と、ネットでは囁かれよるんじゃが・・・。 



 青葉真司も、何年か後に、この社会で生活を始める日が来るんじゃろぉか?・・・。



 せめて、我が国も「終身刑」でも導入して、精神障害の為に犯罪を犯した」とは言え、重大な犯罪を犯した者が、平然と世の中に戻って来ん様にして貰いたいと、儂は思うんじゃが・・・。



公園でブランコを楽しむ儂の息子



 儂には、二度目の結婚で授かった3人の息子が居るんじゃが、10年余り前に離婚する時、重度の知的障碍の在る長男を、儂が引き取ったんじゃった。



 息子と二人で暮らしちょったが、儂が8年ほど前の交通事故で長期入院した際、施設で預かって戴き、右足を悪くして、退院後も、右足にロボコップの様な装具を装着して、二本の杖を突いてしか歩行出来なかった為に、息子は引き続き施設で看て貰い、リハビリに励み、何とか調理場に立てるくらいにまで回復したんじゃった。(「花板」はおりて、奥の厨房で、食材の下拵えをしながら「椀方」「煮方」「焼方」「揚場」をしながら新人の指導に当たっている)



 そうする中でもリハビリを続け、『そろそろ息子と暮らせるじゃろぉか?』と、思い始めた4年前の10月に脳梗塞で倒れて入院し、左半身の麻痺や言語障害や文字が書けなくなる後遺症が残ったんじゃった。



 流石の儂も凹んだんじゃが、貧乏とは有り難いモノで、『寝た切りにゃぁなれんぞ‼』と、奮起して、再びリハビリに励んで、職場復帰を果たしたんじゃった。



 儂が、働かんでも生活出来る程の資産家じゃったら、たぶん、今頃は車椅子生活じゃったかもしれんと思うんじゃった。



 そんな時、「相模原障碍者施設殺傷事件」が起こったんじゃった。



 普通の人達は、「酷い事件」として受け止めたじゃろぉが、障碍児をお持ちの親御さん、特に、障碍児を入所施設に預けて居られる親御さんにとっては、衝撃的で、他人事とは思えん事件じゃったろぉと思うんじゃった。



 儂も、そぉじゃった。


 息子は、今年23歳に成ったが、重度の知的障碍が在り、言葉を持たず、此方から話しかける内容は、或る程度の理解は出来るものの、物の名前を理解する感覚が欠如して居り、経験によって、「このシチュエーションでは、こうすれば良い」と言う判断をしながら、相手の表情や仕草で、それが正しいか間違いかを判断している様です。


 意志の疎通は、長年一緒に暮らしよる儂でも、なかなか難しいんじゃが、身体能力はアスリート並みに高く、その分、息子の面倒を看るんは大変なんじゃった。


 平日は、朝から夕方まで、通所施設へ通い、その間に、割烹料理店の仕事に出掛ける。


 土日や祝日に、料理請負の仕事が有る時は、別の施設に預かって貰ったりして仕事に出掛ける。


 足の不自由な儂には、時々近所の公園に連れて行って、息子がブランコをしているのを見守るくらいしか出来んのじゃが・・・。


 23歳の兄ちゃんが、嬉し気にブランコを漕ぎ捲りよる光景は、周囲には異様とも滑稽とも思えるかも知れんのじゃが、誰に迷惑を掛けるでもなく、去年の4月から、お互いに折り合いを付け乍ら、慣れた事も有って、昨日と同じ今日を繰り返す、単調な日々を過ごしよるんじゃった。


 儂も、えぇ歳じゃけぇ、何時まで息子と過ごせるかは分らんのんじゃが、出来るだけ一緒に過ごせる様にと、儂なりに努力もしよるんじゃった。



 あの事件を起こした、植松聖に言わせれば、「障害者の安楽死を国が認めてくれないので、自分がやるしかないと思った」と、言って殺される存在なんじゃろぉ。


 そして、あの事件の後に、植松聖を称賛するコメントを書き込んだ者達にとっても、世の中にとってマイナスしか齎さん存在なんじゃろう。



 じゃが、儂は、障碍を持った息子が居るけぇ、辛いリハビリを克服する事が出来たし、明日も仕事に精を出そうと言う気力が湧いて来るんじゃった。



 植松聖や、彼の信奉者は、反論しかせんじゃろぉが、『支えられる事に因って、人を支える存在』と言う者も、この世の中には確かに居るし、聖書で言う『世の光』とは、この者達の事なんじゃと、儂は声を高らかに言いたいんじゃった。



 植松聖や彼の信奉者には、死ぬまで理解も納得も出来ん事かも知れんとは思うんじゃが・・・暁橋のたもとから